明晰さとは、太陽に最も近い傷だ。〉

1年半ぶりにギターを手にとった蒔野。自らの旋律を研究し、ひたすら練習を重ねていく日々がはじまる。
その中で、彼はとある"言葉"に出会うー……。

 医師は、祖父江のことも蒔野のことも知らなかったが、担当になってから興味を持ったらしく、CDにサインを求められ、以来、リハビリの説明も、楽器の演奏を例に出す機会が増えた。

 蒔野は演奏家として、そんなことを一々気にしながらギターを弾くわけではなかった。

 神経科学についても、定説とされている話を、漠然とイメージするに過ぎなかったが、演奏に関して、芸術表現がその陳述的記憶に、運動能力が非陳述的記憶に関係しているという整理には納得がいった。

 問題は、その両者がどんな具合に結び合い、影響し合って、全体的な統一を実現しているのかだった。

 自分の奏でる旋律が、かつてのようにハリのある運動の軌跡を示さず、和音が曇りを帯びてたちまち潰えてしまうのは、なぜなのか。一年半という時の経過によって、自分の中で、一体、何が起きているのか。

 原因を抽象的に探ってみても仕方がなく、果たして一旦、両者を分けて考えること自体が正しいのかもわからなかった。が、ともかくも、指が動かないことには話にならないので、スケールだけでなく、レパートリーの中から必要で且つ、音楽的な内容も豊富な—要するに美しい—メカニズムを抽出してきて、ひたすら反復的な練習を重ねた。

 蒔野のこの腹を括った方針は、結果的には、吉と出たのだった。

 三カ月後、彼の指は、自分でも驚くほどよく動くようになっていた。楽器を中心とした体全体の連動もスムーズになっていて、長時間ぶっとおしで練習をしても、特にどこが痛いということもなくなった。

 かつての演奏技術を単に回復するだけではなく、蒔野はこれを機に、長年の蓄積として痼っていた左手の運指や右手の撥弦の癖を一つずつ点検し、演奏スタイルを、全体により簡素に、軽くデザインし直すことを心がけた。

 ヴィラ=ロボスの練習曲を全曲続けて演奏してみて、彼はまるで、新車に乗り換えたように、自分が以前よりも楽に楽譜の上を走っているのを感じた。

 勿論、一本調子で状態が改善されてゆくわけではなかった。技術的にはまだ不安定で、上機嫌で練習を終えた翌日には、それに懐疑的になるほどすっかり落胆してしまうこともあった。それでも、最初に比べれば比較にならない進歩で、悪いなりに満たしている水準も確実に上がってきていた。

 客観的に、蒔野は自分がどういうギタリストなのかを再認識した。

 自分は演奏技術の特に運動能力の部分に関しては、ほとんど苦労知らずなほど、抜群の素質を持っている。練習が好きで仕方がなく、むしろ、努力をしないということにこそ、耐え難い苦痛を覚えるというのも、一つの性分だろう。そして、そのいずれもが、彼の音楽性の欠如が批判される際には、「確かに超絶技巧で、その鍛錬に余念のないことには敬服せざるを得ないが、しかし、……」と、皮肉な前置きとされるのだった。

 それは、蒔野の何よりも癇に障る悪口で、若い頃はムキになって、「ヘタだと音楽的だ、人間味があるっていうのは、卑しい音楽観、人間観じゃないですか?」などと反論し、火に油を注いでしまったこともあった。

 そんな昔話も思い出しながら、復帰に向けた練習が四カ月目に入ると、彼も主要なレパートリーを一曲ずつ仕上げてゆくことに時間を費やした。

 長時間の練習は抑制し、極力、本を読んだり、絵を眺めたり、映画を見たりするための時間に当てた。バッハに関する本を集中的に読み、《フーガの技法》を中心に楽譜に目を通した他、洋子のアパルトマンで目にし、その後、買ったまま読まずにいた幾つかの本を手に取った。

 蒔野は特に、初めて読んだルネ・シャールの詩集にのめり込んだ。ブーレーズの曲で、存在だけは知っていたが、難解なアフォリズム風の詩句が並ぶその本は、たちまち傍線と書き込みとで溢れ返った。

 彼は特に、《イプノスの綴り》の中の次のような謎めいた一文に心を奪われていた。

〈明晰さとは、太陽に最も近い傷だ。〉

 その言葉は、閃光のように彼を貫き、いつまでも強い印象を残していた。

 蒔野はそれを、自分の演奏に対する、最も鋭利な批評であるように感じていた。祖父江が言っていた、「もっと自由でいいんですよ。」という一言とも呼応し合っているようだったが、実感としてよくわかる割に、言葉で考えようとすると、雲を掴むようだった。

 どうして洋子といつもスカイプで会話していた頃に、この本を読んでおかなかったのだろうかと、彼は後悔した。彼女と話がしたかった。そういう話題を、あまりに多く抱え込みすぎていた。

 *

 武知とのリハーサルが始まると、蒔野は改めて、復帰の難しさを痛感させられた。

 自宅の練習部屋に籠もっていた時とは、やはり勝手が違い、舞台に立った時のことを思うと、これまでやってきたことが、本当に使い物になるのだろうかと不安になった。

 武知は、

「短期間で、よくそんなに戻ったねえ。すごいよ、やっぱり蒔ちゃんは! 本当は、楽器に指一本触れなかったっていう時期も、ちょっと弾いてたんじゃない?」

 と励ましたが、蒔野は、あと少し復帰への決断が遅れていたなら、自分はもう一生、コンサートは出来なかったのではないかと、空恐ろしい気分になった。

「いや、……なかなか難しいね。武知君が一緒で、助かるよ。」

 それは、本心だったが、武知とのコンビネーションも、しっくりとは来ていなかった。

 それぞれに弾きたい曲を持ち寄って、リハーサルを通じて絞ってゆく予定で、このデュオのために、新たに編曲した作品も幾つかあった。

 蒔野は、武知の編曲に、どうしても抵抗があった。彼が楽譜を書き下ろした三曲は、どれも手堅いが面白みに欠け、一言で言うとパッとしなかった。その色気のない、地味な印象は、そのまま武知の演奏にも言えることだった。

 「華がある」というのは、こう言って良ければ、やはり一種の才能だった。その有無は誰の目にも残酷なほど明らかだが、いざ、それが何であるかを説明しようとすると、結局は、「華があるというのは、つまり、華があるということだ。」という同語反復に陥るより他はなかった。

 蒔野は、会えば会うほど武知を好漢だと感じ、その「きちんとした」という言葉がピッタリの演奏も信頼していたが、それがまた、彼の音楽活動を行き詰まらせていることもわかるだけに、折々、やるせない気分になった。

 遠慮すべきことでもないので、蒔野は気を遣いながらも三曲のうち二曲はリハーサル中に話し合って楽譜に手を入れ、もう一曲のラヴェルのピアノ協奏曲のアダージョは、一旦引き取って全面的に書き直すことにした。

 オーケストレーションに妙味のある長い曲なので、ギター二本で演奏するというのは、そもそもかなりの難題だった。蒔野は一旦は、「俺も大好きな曲だけど、ちょっとダルいね?」と諦めかけたが、武知がどうしてもと拘っているらしい曲なので、最初のピアノのパートをすべて独奏にするなど、極力彼を目立たせるように全体を再構成した。

 本番が近づいてくると、蒔野も次第に口数が少なくなっていった。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

コルク

この連載について

初回を読む
マチネの終わりに

平野啓一郎

毎日新聞で3月1日より連載を開始した芥川賞作家・平野啓一郎氏の新連載『マチネの終わりに』が、cakesでもスタート! 『空白を満たしなさい』以来、三年ぶりの長篇となる本作のテーマは「恋愛」。文明と文化、喧噪と静寂、生と死、更には40代...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

bluemoonnblue 明晰さとは、太陽に最も近い傷だ https://t.co/6B0gIQwE4x マチネの終わりにで紹介されたナチスに抵抗した仏詩人ルネ・シャールの言葉☆こ の 忘 れ っ ぽ い 国 で そ の 独 裁 が 再 び 権 力 を 持 つ の を お そ ら く 見 る だ ろ う 4年以上前 replyretweetfavorite

corkagency 彼は後悔した。彼女と話がしたかった。そういう話題を、あまりに多く抱え込みすぎていた。#マチネの終わりに https://t.co/kZIO9DBd55 https://t.co/XGz6dKtMCB 4年以上前 replyretweetfavorite