語るべき友達が居ないというのも、またいいものだよ。
俺には友達と呼べる人が一人も居なかった。何故と言われても、知らない間に避けられていたからとしか言いようがない。おやじが仕事場所を移るたびに、悲しそうな顔をして「また引っ越しだから。せっかく出来た友達と離れてお前も寂しかろう」と言われても、あまりピンとこないのも当然だった。おやじなりに俺のことを愛しているのかも知れぬ。友達がいないことが、いけないことだと思っている。だが、寂しいといっても、いつも誰かと居るという経験をしたことがない。だから孤独を気に病んだこともない。なにしろ小学校にあがってこのかた、おやじは仕事に日夜明け暮れて、ほぼ毎年のように転勤をして日本各地を転々としていたから、それまでのこの短い人生でおやじ以外の人と半年以上顔を合わせた事がない。
そのおやじも、朝起きて仏壇に向かい母さんの遺影の前で俺と手を合わせたかと思うと、さっと背広に着替えて家の鍵と飯代の千円札を一枚ぽんと食卓の上においたぎりで出て行ってしまう。そりゃあまあさみしいとは思うけど、ずっとこうなのだから泣いても仕方がない。かといって小学校高学年になっても、放課後の校庭開放で一緒に遊んでくれる友達もいない。どうせしばらくするとまたこの学校も離れることになるのだと思うと、変に自分を曲げ、無理をして友達を作る気にもなれぬ。慣れ親しんだ学校や友達と別れるのは辛いという気持ちも一年生のころまでで、それ以降の本と算盤と算数ドリルだけが友達の日々でも、そう悩むこともなかった。
友達など、いなければいないで気楽なものだ。
小学4年のころ、二学期と三学期と立て続けに島根の寂れた街で暮らしたことがある。日本中を転々としていた俺の人生の中では滞在最長記録だった。険しい山沿いにある廃校寸前の、一年から六年にかけて1ダースに欠ける程度の子供しか居ない僻地の小学校だった。生徒がやたらに少ない教室に入ったときは、クラスメートが物凄くわくわくした表情と輝かしい目つきで俺を出迎えてくれたことを、よくおぼえている。その前のおやじの赴任地が名古屋という大都会だったこともあり、「都会っ子がやってくる」ということで、あれやこれやクラスメート同士で妄想を拡げきっていたらしい。
しかし、やってきたのは俺。申し訳ないね、ほんとに。人と関わるのが極度に苦手で、一日中誰とも話をしなくてもいい、孤独が服を着て歩いている男ですよ。穏やかな春の日は誰も居ない図書室で本を読み、暑い夏は用事もないのにデパートや銀行に足を向けてはロビーで涼んで本を読み、心地よい秋は国鉄で入場券だけ買って一日中電車往復しながら本を読み、冬は寒いのをいいことに厚着して折りたたみの椅子を持って大きい本屋で立ち読みならぬ座り読みをするような。そんな程度の低い小学生が俺です。
でも、人が俺をどう思っているのか、何を感じているのかはすごく良く感じ取れる。これはね、奇妙なことに、ぜんぶ分かってしまう。サーッと、目の前の人たちの気持ちが退いていく。そして、心臓がキュッとなる。この、ひとめで嫌われて、距離を置かれている感じは、特にね。新しい学校に来て数日経ち、一週間が過ぎる。そして、俺が期待するような男ではまったくないことに気づいたクラスメートから、徐々に好奇心に満ちた笑顔が消え、失望を隠さずに無視を決め込もうとする排除の心が手に取るように分かる。むしろ、一人でありたい俺としては好都合である。どうにか級友と仲良くさせようという親切心から無理な絡みを求めてくる老女教師をいなしながら、いかに授業の時間帯で勉強以外しないかだけを合理的に考えるような男が俺なのだ。
だいたい二週間を過ぎるぐらいで、ホームルームにて突然「なぜ彼は、みんなと話さないのか、考えましょう」とかいう、先生がたにとっては問題解決を目指しているけど、当人にとっては晒し者となるイベントが開催されるのが通例だ。当然、最初は酷く傷ついたものの、そのうち毎度こうなるという経験ができて、何も感じなくなった。こういうクラスの中の問題に、教師が介入してうまくいった試しがない。放っておいてくれないだろうか。そんなね、無理して話しかけてくれなくていいんだよ。そもそも話すことなんてそんなにないし。だから、素直に俺はその場で「話しかけてくれなくていいです」というと、今度は教師としてのプライドに傷をつけられた大人が、まるで壊れてしまった湯豆腐がテーブルにこぼれたかのように狼狽するか、マニュアルどおりにいかない事態に直面してヒステリーを起こすかするのだ。別に俺は悪気があるわけじゃないけど、誰かに強要されて人と話さなければならぬ命令など、むしろ当人にとって失礼ではないのかと、当時も、いまでも、そう思っております。
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