「お肌の曲がり角」のルーツ
「お肌の曲がり角」という言葉は誰が使い始めたのだろう。「その先の曲がり角にある白いマンションの302号がウチだから」のように、ある場所を指し示す為に使われるのではなく、「これまで通りにはいかなくなる」というニュアンスを伝える「曲がり角」。日本語俗語辞書に頼れば、「曲がり角」は「1959年に公開されたマルセル・カルネ監督のフランス映画『危険な曲り角』がキッカケで流行した言葉である」とある。この作品は、1950年代後半のゴダールやトリュフォーなどの20代作家による新しい波(ヌーベルバーグ)に触発された巨匠マルセル・カルネが、フランスの若者の風俗を描いた作品だ(『現代世相風俗史年表』参照)。
この映画をきっかけに流行った「曲がり角」の流れを汲みつつ、化粧品・マダムジュジュEのキャッチコピーとして使われた「25才はお肌の曲がり角」が、「お肌の曲がり角」の走りであるようだ。『危険な曲り角』の原題は「Les Tricheus」、直訳すれば「詐欺師」の意味合いを持つが、開放的な若者を描くこの映画から触発されるようにキャッチコピーをつけたマダムジュジュの姿勢は、「曲がり角」を茶化しているはずがない。戦後間もない1950年に発売開始されたマダムジュジュ、「ジュジュ」と名付けたのは詩人・金子光晴であり、フランス語で「わたしのおもちゃ」を意味する。キャッチコピーといい、語源といい、そこには「戦後の開放から自由を手に入れ、何をおいても美しくなりたい、そんな一心から化粧品に対する欲求が高まっていました」(マダムジュジュHP)という背景があったのだ。
収拾がつかないドラマ『オトナ女子』
マダムジュジュは早い段階から「お肌の曲がり角」用の商品を開発してきた。それが1959年に発売された、35才以上を対象とした、直球過ぎる商品名「強力マダムジュジュ」だ。今ではネガティブな表現として使われがちな「お肌の曲がり角」だが、当初は、ならば乗り越えていきましょうと素直な野心に満ちたものだった模様。近年では、お肌の曲がり角に対して「いいえ、私には永遠に曲がり角は来ないんです」と凄む平子理沙や山咲千里方面の振る舞いが一つの選択肢としてキラキラ浮上するようになったが、一部の信奉者を除けば、曲がり角を認めない頑固な肯定に過ぎない、と痛々しい目線が向けられることもしばしば。
今の世相に流れる「40代女子」というフレーズに代表される、女子であり続けようとする働きかけには、すっかり「強力マダムジュジュ」のようなパワフルさに欠けた、「いくつになっても女子でありたい」「女子をあきらめない」という、いたずらに維持を目指すものが多い。この2つのフレーズは両方とも篠原涼子主演のドラマ『オトナ女子』の宣伝として使われているキャッチコピーだが、このドラマは、近年の「女子」の乱発を全て注ぎ込んだ結果としてハイカロリーとなり、バブル期のトレンディードラマのような作りに陥り、収拾がつかなくなっている。