昭和の昔、電話が一家に一台という割合で普及しても、学生寮ではそうはいかなかった。各自の部屋には電話機は設置されず、寮生が集う場所に、代表電話が一つある、というスタイルが多かった。駒場寮も例外ではない。1957年当時の寮委員会はこう訴えている。
<寮務室には電話が一つしかない。近いうちに赤電話が付く筈であるがとにかく九百人にしては少なすぎることは確かである。そのため駒場寮にかけても、『お話中』ばかりで仲々出ないというのは定評ある所である。それを少しでも緩和するため、次のことをリーベその他に徹底させてほしい>(1957年5月10日発行「駒場寮ニュース」)
以下、要するに、電話は手短に、という寮委員会からの訴えが続く。「リーベ」とはドイツ語で恋人のこと。リーベなき大半の寮生にとっては、ただのいやみだろう。
北寮2階、入口側から半分のフロアは、居住スペースではなく、寮自治会が管理する公共スペースだった。階段を上がったすぐの部屋(北寮31S)が寮務室で、ここに代表電話が置いてある。寮務室は、寮外からやってくる人の受付窓口であり、寮生が集うサロンでもあった。中には事務用の机と椅子、利用者用のソファーとテレビが置かれている。新聞は、多い時には5紙、90年代には3紙の全国紙を取っていた。
時代が下ると、電話回線は増やされ、1回線から3回線になった。電話当番が電話を受け、相手から誰を呼び出したいのか聞いて、寮内放送をかける。
たとえば、
「中寮7Bの松本さん、電話2番(回線の番号で、1から3まである)、2番に電話です」
という感じである。
この放送を聞いた中寮7B(1階)の松本は、電話のある中寮2階までダッシュして、2番のボタンを押して電話を受ける、というシステムだ。呼び出した寮生の反応がなく、不在とみなされた場合には、伝言ノートに伝言が残される。
駒場寮の電話呼び出しには、妙な伝統があった。電話当番は放送をかける際に、「電話」「お電話」「おお電話」という微妙な言い分けをするのだ。
「お電話」はリーベ(恋人)、かどうかはわからないが、妙齢の女性からの電話。
「おお電話」は親元からの電話。
「電話」はその他だ。
この3種類の区分は、電話で呼び出される側には、かなり重要な情報だ。男子学生にとって、どれが心浮き立つかは、言うまでもないだろう。呼び出し放送は誰にでも聞こえるので、「ああ、またあの人は『お電話』か」と、重要な個人情報が筒抜けにもなる。電話当番には、複数の女性から相前後して、「お電話」がかかってくるモテ男の存在も明らかになる。「お電話」にはダッシュで出るが、「おお電話」には金輪際出ない、という不心得な寮生も中にはいた。
この言い分け、そう遠くない昔にできた風習なのだろう、と思っていた。しかし調べてみると、そうではなかった。60年代はじめにはもう、女性からの電話は「お電話」だったのだ。
寮生側から電話をかけるとすれば、基本的には公衆電話を使うしかない。90年代であれば緑の電話にテレホンカードを差し込んで、電話番号を押す。北寮1階の入口に近い部屋には、飲み物やカップラーメンの自動販売機と並んで、公衆電話が置いてあった。そこがふさがっていれば、寮を出てすぐ、向かいの生協には、何台もの公衆電話が並んでいる。
寮委員長室には、緊急用の電話があったが、これはアナクロなダイヤル式のピンク電話だった。誰もが携帯電話を持っている現在から見れば、どれもこれも、遠い昔の話のようだ。
寮生宛の郵便物は、寮務室に届けられる。集合住宅のように、鍵のついた個人用のポストがあるわけではない。仕分けされた封書やはがきは、名前のあいうえお順に区切られた、戦前の一高時代から使われている状差しに入れられる。誰に誰から手紙が来ているのかぐらいは、その気になればチェックできただろう。時には、
「あいつは『お電話』だけではなくて、『お手紙』も多い」
という揶揄も聞かれた。プライバシーという観点からすれば、万事、ずいぶんとゆるかった。男子ばかりの自治寮だから、ということもあるだろう。
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