東大駒場寮物語

12】寮風呂

「古く、汚く、キテレツ……それでも彼らは、自分たちの居場所を守ろうとした」。明治、大正、昭和の昔から、著者が過ごした1990年代、そして廃寮までの駒場寮の歴史とそこに生きた学生たちを描くノンフィクション『東大駒場寮物語』(KADOKAWA)が今冬発売となります。本連載では、その一部を抜粋してご紹介していきます。

 寮風呂は、寮の敷地内、居住棟を出て渡り廊下を通った北側にあった。夜、足元が暗いので、うっかりすると、カエルを蹴とばすことになる。寮の周辺にはたくさんのカエルがいて、なぜか驚くほどに大きかった。

 多くの学生が利用していた寮風呂は、町の銭湯に優るとも劣らぬほどに大きい。そのため、多くの燃料を確保することは古くからの難題だった。現代の感覚であれば、風呂は毎日入って当然、ということになるだろうが、それは望むべくもない。風呂をどれぐらいの頻度で沸かせるか、ということは、歴代寮委員会の最重要課題のひとつであった。1945年頃に寮委員を務めていた小柴昌俊(東大名誉教授、物理学者)はこう記している。

<風呂はあるにはあったけれど、燃料なんかありはしないから、気の利いたやつが、焼け跡から変圧器をかっぱらってきて、自分たちでその変圧器を電線につないだ。早い話が盗電だ。そして、ニクロム線を直接お湯につけて電熱器みたいにして、20~30人くらいが一遍に入れる風呂を沸かしていた。かなり危ないし、時間もかかるのだが、いま風にいえば、クリーンではある。(小柴昌俊『物理屋になりたかったんだよ』朝日新聞社)>

 終戦直後の話だけれど、人間、必要に迫られれば、これぐらいのことはする、ということだろう。小柴の寮風呂に関する話には、続きがある。この頃、寮風呂は寮生だけでなく、教員も利用していた。

<ある日、そこへ入っていたら、湯気の向こうで声が聞こえる。「小柴は寮の仕事ばっかりやって、さっぱりだめだ」「いったいあいつはどこに行くんですかね」「どこに行くかわからないけれど、物理じゃないことはたしかだね。ドイツ文学かインド哲学がせいぜいだろう」。話していたのは、わたしに落第点をつけた物理の先生と、その先生がかわいがっていた物理のよくできる学生だった。(同書より)>

 小柴のそれまでの成績では、難関の物理学科に進学するのは難しかった。しかし、寮風呂で教員の言葉を聞いた小柴は「さすがにわたしは腹が経ってこんちくしょうと思った」という。そこで発奮して猛勉強を始め、物理学科に進学することができた。寮風呂での偶然がなければ、小柴が後にノーベル物理学賞を受賞することはなかったかもしれない、というわけだ。

 風呂が沸かされる頻度は、世の中全体が豊かになった80年代であっても、2日に1日の割合だった。また、沸いたとしても、ぬるかった。この頃寮生だった成瀬豊(81年入寮)はこう語っている。

<僕が寮委員長だった時には、寮生の顔と名前を四百五十人中三百五十人ぐらい知ってたし、それだけ会話をしたということでもある。当時の寮風呂は非常にぬるくて(笑)、どうしても長風呂になって、次から次へと入って来る寮生と色んな話をしたもんですよ。寮運動の路線の話もあるし、政治だとか、恋愛の問題だとか、勉強とか遊びとか。そういうのと一体になって寮運動の路線の話がくっついて出て来るから、人間に対して好き嫌いをしなくなったというか、こいつとはちょっと付き合いたくないなって人間とも、実際話してみるとこいつはこういういいとこがあるのかってわかるようになった。これが寮生活の素晴らしさなんだなと思っています。(立花隆+東京大学教養学部・立花隆ゼミ『二十歳のころ』新潮社)>

 寮風呂は、冬場は特に、すぐにぬるくなってしまうことが多かった。ぬるいのがわかっていながら、浴槽に浸かり、やっぱり寒くて出られない、という経験を、私も何度もした。それはそのまま、駒場キャンパスのモラトリアム、ぬるま湯的な生活を象徴的に表しているようにも思われた。

 90年代には総代会での議決を経て、経常費を多少アップさせる代わりに、毎日風呂が沸かされるようになった。

 風呂を利用できる時間は、基本的には20時から深夜1時まで。この後はボイラーが消されて、お湯が出なくなる。施錠はされないので、ぬるま湯でも水でもかまわない、というのであれば、ずっと浸かっていてもいい。朝風呂(実際には水だが)が好きだという寮生もいた。

 風呂場を掃除し、ボイラーを点火し、浴槽にお湯を入れるのは、「ボイラーマン」と呼ばれる寮生のバイターが担当していた。実働は2~3時間だが、拘束時間は長い。バイト代は90年代で、一日2800円だった。

 入寮後すぐに、私もボイラーマンをやってみた。夕方、風呂場の外からサークル活動をしている男女の楽しそうな声が聞こえてくる。タイルをブラシでこすりながら、いったい自分は何をやっているのだろうと思って、心が折れた。

 そうしてそのうち、だいたい決まったメンバーがレギュラーとして残る。手抜きのボイラーマンが問題になった時代もあったが、後には責任感が強い、優秀なボイラーマンが増え、ボイラー技士の資格を取る者まで現れた。その効果か、後に風呂の湯は快適な熱さになった。

 94年、誇り高きボイラーマン代表の寮生は、高らかにこう宣言している。

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東大駒場寮物語

オオスキトモコ /松本博文

ムツゴロウ、野田秀樹、堀江貴文、小池龍之介など様々著名人が巣立った日本最古の大学寮は、著者が入学した93年には廃寮計画が進められていた。寮にまつわる数多の史実を交え描く、筆者たちの実録青春記。

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cafe_petit 自らの居場所を守ろうとした学生たちを描く、哀愁の青春ノンフィクション! 2年弱前 replyretweetfavorite