あけましておめでとうございますの挨拶もそこそこに、正月は元日からひとり自宅にこもってコンビニ飯を食いつつ未読本と原稿の山に埋もれてたわけですが、女房子供が不在の隙にと、居間のHDレコーダーに溜まる去年のアニメを端から消化。十話で止まってた磯光雄監督・脚本の「電脳コイル」もやっと最後まで見た。
作品世界の雰囲気は素晴らしいけど、メインプロットの謎解きでガックリするんじゃ……という心配は杞憂に終わり、ジュブナイルSFの境界ギリギリで鮮やかに着地。いまごろ褒めるのも間が抜けているが、たしかにこれは傑作。今年の日本SF大賞の有力候補でしょう。
おなじコンピュータものでも、小中千昭が脚本とシリーズ構成を担当した一九九八年のTVアニメ、「Serial experiments lain」の先鋭的な作風とは大違い。サイバーパンクから二十年余り、電脳空間もとうとうここまで成熟したか……という感慨以前に、近未来SF的なディテールがすばらしい。眼鏡型のウェアラブル・コンピュータをたんに“メガネ”と呼び、サイバースペースを“空間”と呼ぶセンスが象徴するように、小学生の間にもニンテンドーDSやネットに接続されたWiiが普及する現在から一歩先の未来が生活感たっぷりに描かれる。いとうせいこうがかつて『ノーライフキング』で描いた“新しいリアル”がここではもう“ふつうのリアル”になり、元気な悪ガキたちを見つめる(ほとんど「ど根性ガエル」のような)ノスタルジックな視線と溶け合っている。
この近未来描写こそ「電脳コイル」の生命線──と思ったが、考えてみるとそれはSF愛好者だけの感想かもしれない。少年ドラマシリーズ的には、ヤサコとイサコの友情の行方とか、身近な者の死をいかにして受け入れるかとかが作品のテーマであって、近未来の設定は、まあよく出来てるけどそんなのただの背景でしょ、ということになる。登場人物のドラマを主とするなら、SF的な舞台は物語の容れ物でしかなく、それだけをとりだして評価するのは、料理そっちのけで皿を褒めるようなものだとも言える(その反対に、人間ドラマなんか物語を駆動するためのエンジンに過ぎず、肝心なのはボディのデザインですよ、という立場もある)。
見る人が違えば評価軸が違うのは当たり前で、アニメついでにもうひとつ、昨年六月~九月に放送されたガイナックスのTVアニメ「天元突破グレンラガン」の場合。
こちらは、「機動戦艦ナデシコ」などと同様、「ゲッターロボ」系の七〇年代熱血スーパーロボットアニメを現代SFアニメの枠組で継承・復活させる試み(たぶん)。シリーズ構成と脚本は、劇団☆新感線の中島かずき。昨年末、ガイナックスの忘年会で一年半ぶりにお目にかかった中島さんいわく、
「『グレンラガン』のラストを書くのにSF力をつけなきゃと思って、ひさしぶりにバリントン・ベイリーを読み直したんですよ。やっぱり面白いですねえ。ラストは量子論で行くって決めてたんで、イーガンも読みました。『宇宙消失』とか」
ところが私は肝心の第三部以降をまだ見てなくて、すみませんすみませんと謝ることしかできず、これはいかんと反省して正月に後半をまとめて見たところ、いやもう、第四部「回天編」は怒濤の展開。生物のDNAに秘められた“螺旋の力”によって戦う中央突破型のヒーローが、宇宙の平穏を守るために実力で螺旋を封じ込めようとする巨大な敵と戦う、壮大なスケールの宇宙SFに雪崩れ込んでゆくSFの骨格はクラークの『幼年期の終り』、もしくはバクスターの《ジーリー・クロニクル》か。ものすごい勢いでエスカレートするクライマックスで(量子論的に)いったいなにが起きているかは、生体コンピュータ某の口から(半ばアリバイ工作的に)短く説明される。アニメの展開上はあってもなくてもいいようなもんですが、SFファン的にはこれが重要。この説明があるおかげで、思いきり派手な(熱血ロボットアニメ的に熱く燃える)活劇を心おきなく楽しむことができるわけです。
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