(95年7月1日に行われた麻雀大会の様子。駒場寮同窓会提供)
入寮後、それほど他の寮生と交流があるわけではなかったマッキーにとって、転機となったのは1年時の夏休みだった。その頃から、多くの寮生と麻雀をするようになった。寮内ではいつも、どこかの部屋で卓が立っていた。全自動卓も3~4台はあった。北寮15Sなどはレベルが高く、高いレートでボロ負けをしたことがあったと、マッキーは言っていた。
寮で麻雀を打つようになると、加速度的に知り合いが増えていく。マッキーも麻雀をきっかけに、多くの寮生と知り合いになった。
現在、麻雀ライターをしている福地誠(84年入学、85年入寮)は、80年代、寮で半ば伝説化されていた人物と打った経験があるという。
<(駒場寮には)麻雀太郎と呼ばれる人物が住んでいました。いまだに本名は知らないのですが、毎日麻雀ばかりしていて、3年間で体育実技0.5単位しか取っていないといった武勇伝が伝わっていました。>
(メルマガ「月カン! 雀賢荘」2010年10月)
後にふとした縁で知り合った私の同室の先輩である江崎徹(87年入寮)は、理系の学生らしく(?)ポケットコンピュータに、膨大な対局データを入力し、統計を取っていたという。それが何かの役に立ったのかどうかまでは、聞いたことがない。
堀江貴文(91年入寮)は大学入学後、怖いもの見たさで駒場寮の中におそるおそる入ったところ、ある部屋から偶然知人の声が聞こえてきたことから、その部屋で麻雀を打つことになる。
<麻雀には多少自信のあった僕だが、東大生の麻雀はさすがにレベルが高い。特にドクター高見さんの打ち筋は独特で、なんでも20年間無敗の雀士桜井章一の主宰する雀荘「牌の音」の常連だという。
やるなあ東大生。面白えな、東大麻雀。
その日はなんとか凌いでギリギリのプラスという成績。メンツとして認められた僕は、住人二人からも誘われる。
「この部屋、一人分空いているから、このまま住めば?」
そんな顛末で、僕は憧れの東京生活を、この古くて汚くて、最高に男臭い東大駒場寮でスタートすることになった。
(中略)
僕の住む北寮3階24Sは、夜毎麻雀が行われると言ってもあくまで趣味程度のものだったが、寮内には三つの麻雀専門部屋があった。
中でも驚いたのは北寮15S。そこはもう完全に雀荘と化していて、場代を取って運営されている。定期的に行進されている全自動卓があり、店員らしき人もいて、カップ麺や漫画雑誌も常備。レートも僕らの部屋の倍。そしてそこに行けば24時間メンツが揃っている。>(堀江貴文『我が闘争』幻冬舎、2015年)
(部屋で麻雀する寮生たち。駒場祭同窓会提供)
そうして堀江さんは駒場寮では、麻雀ばかりしていたという。その模様は漫画 『ホリエ戦記——ホリエモン闘牌録』(全2巻、原作・堀江貴文、作画・本そういち、竹書房、2012年)に詳しい。
私は堀江さんとは入れ違いの世代となる。堀江さんと同級生で、よく一緒にバイトをしていたという先輩からは、その話を聞いたことがある。先輩に対してものおじせずに言いたいことを言い、グルメで、食へのこだわりが強かったという。
松本博文『東大駒場寮物語』(KADOKAWA)、12月10日発売決定!
オオスキトモコさんによる、廃寮直前の駒場寮の写真集、発売中!
併せて駒場寮のミニ写真展を11月21日「デザインフェスタ」@東京ビッグサイトで開催!
(場所は西ホール・A-13になります)
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