(駒場寮を象徴する会議室。写真:オオスキトモコ)
駒場寮は、東大駒場キャンパスの東側、よく目立つ場所に存在した。もともとは、旧制第一高等学校(一高)の寄宿寮として、1935年に建設された。当初は、北寮、中寮、南寮の3棟で構成されていた。それぞれ3階建てで、1階ごとに廊下をはさんで、二十の部屋がある。後に建てられた明寮も3階建てだが、戦争が激しくなったことにより工事は中断。半分の長さ(1階ごとに十の部屋)で、当面の完成とされた。
そして、現代から見ても画期的なことであるが、寮の設計にあたっては、事前に一高の生徒側の意見が大いに尊重にされた。学生側は委員会を作り、参考に資するために、東京市内の多くの寄宿舎を見学して回っている。中には当時画期的な集合住宅として注目された、虎ノ門や江戸川の同潤会アパートも訪れている。
寮の一部屋の広さは約24畳。部屋は廊下をはさんで、S(スタディルーム)とB(ベッドルーム)の2種類がある。この二部屋を1セットとして、同じサークルの寮生がともに暮らすことが想定された。机が置かれたSで勉強し、ベッドが置かれたBで寝起きをする。
向かい合った部屋はそれぞれ、北側と南側に位置している。では寝室は、どちらにするのがいいだろうか。寮生側は当然というべきか、日当たりのよい、南側を寝室とすることを主張した。しかし学校側はなぜか理由を明示しないまま、寝室は北側にするという方針を出している。寮生側は容易に納得しなかったが、結局最後は折れて、寝室北側案を受け入れている。
部屋は洋風建築らしく寝台(ベッド)にするか。それとも、これまでの伝統通り、畳敷きにするか。寮生たちの間では、議論が起こった。そして結局、学校案の通りにベッドとなった。しかし折衷案として、ベッドは畳を1枚はめられるものにした。この世にも珍しい畳式のベッドは頑丈で、六十年経った後も、そのまま使われ続けていた。戦後しばらくしてから、SB二部屋がワンセットではなくなり、80年代頃には一部屋3人が基本となった。
松本博文『東大駒場寮物語』(KADOKAWA)、12月10日発売決定!
オオスキトモコさんによる、廃寮直前の駒場寮の写真集、発売中!
併せて駒場寮のミニ写真展を11月21日「デザインフェスタ」@東京ビッグサイトで開催!
(場所は西ホール・A-13になります)
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