(駒場寮の屋上からのぞく、1号館の時計。写真:オオスキトモコ)
1992年、私は東大を受験するため、故郷の下関から東京に向かった。志望先は文科Ⅰ類(文Ⅰ)だった。文系の中では一番難易度が高いとされていたが、受けるからには文Ⅰしかないと思っていた。自分の過剰な自意識を、自分自身で執拗に検証していくと、いつも気持ちがわるくなった。しかしながらともかくも、受験を乗り切るまでは、そういう自分の中の矛盾の追及は、先送りにしようと思っていた。
本番の受験の前、下見で駒場キャンパスを訪れてみることにした。渋谷で電車を乗り換えるため、京王線の駅で、当時は初乗り110円だった切符を買う。「京王」の「王」とは、八王子という意味らしい。まだ東京のことがよくわからなかった自分は、八王子も、井の頭公園があるという吉祥寺も、茫漠とした武蔵野の、はるか西側にある町だという認識だった。
渋谷駅で井の頭線の各駅停車に乗る。神泉駅を過ぎ、その次の駒場東大前駅で降りる。改札をくぐり、階段を降りてみれば、すぐ目の前には正門があり、その向こうには、有名な時計台のある校舎が見える。少しややこしいが、東大には本郷と駒場という、2つの主要なキャンパスがある。同じ時計台でも、本郷の方は「安田講堂」で、駒場の方は「1号館」である。どちらもキャンパスを代表する建物であり、また、設計者も同じでデザインも似ているため、しばしば間違われることがある。正直、田舎者の私も、最初はそのあたりの違いからして、よくわかっていなかった。
駒場キャンパスを目の前にして、最初は門をくぐるのにさえ、気後れのようなものを感じた。しかし、中に入ってみれば、意外と雰囲気のゆるいところだと思った。
日本の大学における、過去のいろいろな時代をくらべてみれば、管理がゆるい点、厳しい点、どちらも様々にあっただろう。90年代当時の駒場キャンパスの雰囲気は、いま振り返ってみれば、まだいろんなことがゆるかったように思われる。正門で学生証をチェックされるわけでもなく、キャンパスの中は、誰でも自由に立ち入ることができた。また東大の学生ではなくても、その気になれば、図書館の中にも入れた。図書館では机にかじりつくようにして、必死の形相をして勉強している男たちが何人かいた。よく見れば、手元に置かれている本は伊藤和夫の『英文解釈教室』(研究社)だったり、『大学への数学』(東京出版)だったり、予備校のテキストや東大模試の冊子だったりで、自分と同じ、受験生だとわかった。後に先人に聞いた話では、一年を通じてこの図書館でもっともよく勉強しているのは、近所の河合塾駒場校に通う浪人生だということだった。
前期試験が終わった後、一度故郷に帰った。そして合格発表を見るため、再び東京に出てきた。「個人情報」という言葉が一般的ではなかった当時、合格者の名前はすべて掲示されていた。
自分の名前がないことは、すぐにわかった。その後で後期試験も文Ⅰを受けたが、そちらはまったく手応えがないままに、やはり落ちた。他にはどの大学も受験していなかった。
地方の浪人生
松本博文『東大駒場寮物語』(KADOKAWA)、12月10日発売決定!
オオスキトモコさんによる、廃寮直前の駒場寮の写真集、発売中!
併せて駒場寮のミニ写真展を11月21日「デザインフェスタ」@東京ビッグサイトで開催!
(場所は西ホール・A-13になります)
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