(写真提供:駒場寮同窓会)
「松本君、これから寮委員長室でコンパやるんだけど、みんなで一緒に飲まない? OBも来てるしさ」
4月のはじめ、駒場寮の北寮の前に、美しく桜が咲く季節だった。ベンチに座って、ゆるい目つきをした野良ネコたちにえさをねだられながら、甘い倦怠感にひたっていた私に声をかけてくれたのは、駒場寮生たちからマッキーと呼ばれている、寮委員長の牧野祥久さんだった。「寮委員長」と言っても、大学の教員や職員が務める、管理人や舎監のような立場の人ではない。マッキーは、新入寮生の私よりは1学年上だが、同じ東京大学教養学部の学生である。
マッキーは背が高くて細い人だった。寮内だけではなく、キャンパスの中でも見かけてもよく目立った。もしかしたら、90年代を通じて、駒場で一番有名な学生といえば、マッキーだったのかも知れない。マッキーは当時学部2年生で、24歳だった。ずいぶんと遠回りをして東大に入学したそうで、18歳、19歳がほとんどの、私たち新入寮生よりは、やや歳上だった。それでも私たちに対して先輩風を吹かすようなことは、一切なかった。
浪人して東大に入学した私は、まだ酒が美味いとは感じられなかったが、寮生を中心とした酒の席は楽しいもの、とは思えるようになってきていた。
寮委員長室は、北寮の2階にある。カーペットが敷かれてはいるが、ビラや本などが散乱して、座る場所を作るためにはそれらを片づけなければならないような、乱雑な部屋である。そこでは現役寮生だけでなく、何人かのOBが座って、紙コップで日本酒を飲んでいた。その中の年配のおじいさんは、大学の教授だという。言われてみれば、テレビで見たことがあるような気もする。
「人生は意気に感ずと申しますが……」
東大教養学部の前身の、旧制第一高等学校時代の寮歌のような、そんなフレーズから始まる、教授の感動的なあいさつでもあるのだろうか。私は田舎者の新入生らしく、なんとなくそんな美しい場面を想像してみた。現実はまったく違った。
いかにも温厚な老紳士に見えた教授は、酒が進むにつれ、次第に雰囲気が変わってきた。後で先輩の寮生に尋ねてみたところ、この教授は有名な酒乱だということがわかった。コンパには、堅い本を出すことで知られる出版社に勤務する、三十代ぐらいのOB氏がいた。隣りには、控えめでおとなしそうな奥さんを連れて来ている。したたかに酔って、前後不覚気味だった教授は、おもむろに、その奥さんのふとももに、頬ずりを始めた。これは現実の光景なのだろうか、と私は思った。
「ちょっとちょっと」
OB氏があわてて制止しようとすると、教授は表情を変えないまま、なにか一言つぶやいた。その直後、やにわに教授は、OB氏の顔に殴りかかった。OB氏の鼻から血が噴き出る。教授はなにかつぶやきながら、無表情でOB氏を殴り続ける。私は朦朧とした頭で、いま自分が目にしているのは、本当に平成の時代の日本なのだろうか、と思った。ああ、そういえば、この寮では、「平成」や「昭和」といった元号は、公式文書では使わないと聞いた。ならば、1990年代、21世紀を目前にして、と言わなければならない。
OB氏が「もうお前の本なんて出してやらねえぞ」と叫びながら、教授につかみかかる。いい歳をした男同士が殴り合いをしている分には、止めるのは野暮なのだろう。周囲のOBたちはそれほど気にするようでもなく、やっぱりいつになっても、駒場の春はいいなあ、という顔をして、しみじみと酒を飲み続けている。
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当時の寮委員長のマッキーは、穏やかな人だった。一方で昭和の昔には、対立するグループの学生のメガネを叩き割るような、武闘派の寮委員長もいたらしい。
「弁償しろ!」
メガネを割られた学生がそう叫ぶのに対して、かたわらにいたある寮生は、とっさにこう言い放ったという。
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