東大駒場寮物語

ある駒場寮生の話【連載にあたって】

「古く、汚く、キテレツ……それでも彼らは、自分たちの居場所を守ろうとした」。明治、大正、昭和の昔から、著者が過ごした1990年代、そして廃寮までの駒場寮の歴史と、そこに生きた学生たちを描くノンフィクション『東大駒場寮物語』(KADOKAWA)が今冬発売となります。本連載では、オオスキトモコさんによる廃寮直前の駒場寮の写真を交え、本文の一部を抜粋し、ご紹介していきます。連載に先立ちまして、本書の執筆の経緯について、著者の松本博文さんに特別寄稿いただきました。



(寮でつけていた連絡ノート。写真:松本博文)

 9月下旬、連休中のある日の午後。京王線の調布駅で、私は小林順と会った。小林と私は二十数年前、東大の駒場寮で一緒に暮らしていた。小林は私より一学年下で、入学当初は建築学科への進学を目指していた、理系の学生だった。

 小林とは卒業後、まったく会うことはなかった。2010年のある日、深夜に森見登美彦原作のアニメ『四畳半神話大系』を見ていると、エンドロールに小林の名前を見つけた。そこで初めて、小林が角川書店(現KADOKAWA)に勤めていることを知った。

 私は、将棋を専門とするフリーの記者で、普段はインターネットで対局の中継をしたり、原稿を書いたりしている。KADOKAWAからは先日、将棋に関する本を出させてもらった。担当編集者の藏本淳さんには、その際にずいぶんと助けてもらった。

「僕は駒場寮の話が読みたいです。今度は駒場寮の本にしましょう」
 と藏本さんは言ってくれた。藏本さんは私から見ればかなり歳下だが、同じ東大法学部出身で、留年を繰り返してギリギリで単位を揃えて卒業したところなどは、よく似ていた。藏本さんが東大に入学したときにはもう、駒場寮は跡形もなかったという。

 「ああ、いいですね」
 フリーのライターであれば、どんな仕事であってもありがたい。そして、駒場寮で過ごした時間は、自分にとっては、かけがえのないものである。寮の長い歴史を説き、数えきれぬほどの登場人物と、多く残された資料を丹念に追い、現代における学寮の存在意義を問い、なぜ寮はなくなってしまったのかを、書き記すつもりだった。

 しかし一方で、安請け合いをして、後で迷惑をかけることになりはしないか、とも思った。嫌な予感は的中した。思いのほか、原稿が進まない。ようやくにして書き始めた原稿を見て、藏本さんは露骨にがっかりしてみせた。

 「もっと松本さんたちの話を書いてくださいよ」

 弱ったな。自分のトークスキルの問題なのか、それとも、自分自身の問題なのか、誰かに自分の話をして、面白いと思われた経験はあまりない。ただ恥ずかしいばかりに決まっている。なんとかそれを避けられないかと粘っていたのだが、いよいよ締め切りを突きつけられて、どうしようもなくなった。

 自分が駒場寮で過ごした時間は、つい昨日のことのようだと思っていた。しかし現実には、そうではない。細々としたいろいろなことを思い出そうにも、ずいぶんと忘れていることに気がついた。そこで思い浮かんだのが、かつて自分たちの部屋で5、6人の住人がつけていた、連絡ノートの存在である。ノートは小林が保管していた。そこで小林に連絡をして、ノートを持ってきてもらったというわけである。

 「ああ、そうそう、受賞おめでとうございます」
 と小林は言った。以前私が書いた本(『ルポ電王戦』)が、「将棋ペンクラブ大賞」という業界内の賞を受賞したことを祝ってくれたのだった。その本はNHK出版の粕谷昭大さんに声をかけていただいて執筆したものだが、同社には黒川博之という編集者がいる。黒川は私とは同学年で、小林とともに、寮の同室者だった。思えば駒場寮では、はるか歳上のOBから、少し歳下の後輩まで、数えきれないほどの多くの人たちと会ってきた。中には黒川や小林のように、いまでもたまに会う元寮生もいる。

 小林から受け取った部屋の連絡ノートは、十数冊ほどあった。家に帰ると、妻が1歳の息子と遊んでいた。私は紙袋の中から適当にノート一冊を取り出して、 「昔、みんなでこんなのを書いてたんだ」 と妻に渡した。うちには黒川や小林、その他何人もの、寮関係者が遊びに来たことがある。しかし妻は、寮のことはよく知らない。

「ふーん、男の子同士で、交換日記みたいなことをしてたんだ」

 と妻は言った。言われてみれば、確かにそうだ。毎日顔を突き合わせて、際限もなくいろいろなことをしゃべり合う一方で、いまではネット上のSNSでやっているようなことを、昔はノートに書いていた。

 ノートをぱらぱらとめくっていた妻は、そのうち私が書いている記述を見つけたらしく、くすっと笑った。私はすぐに、自分がひどい失敗をしたのがわかった。私がノートを奪い返そうとするのを、妻はさっとかわして、さほど表情を変えないまま、真顔でそれを読み上げ始めた。

「『僕はずっと恋をしてきた。それは手が届きそうで届かなかった女の子であったり……』。
 はー。ずっと片思いしてたんだ」

 「黒歴史」という言葉は、いつぐらいから使い始められたものだろうか。穏やかで平和な休日の午後に、不意打ちで妻に、昔のポエムを読み上げられることになろうとは思わなかった。

 気が遠くなり、言葉を失って呆然としていると、まだ片言しかしゃべれない息子は、
「ばいばーい」
 と言った。うちの近所には多摩川が流れていて、夏になると河原で花火が打ち上げられる。うちから歩いて十分ほどなのだが、橋の上から飛び降りたら死ねるだろうか、と思った。

 そんな調子で『東大駒場寮物語』(このタイトルは、編集者による)は、駒場寮に関する多数の史実をまじえながら、地方出身の私が東京に出てきて、主に十九、二十歳の頃に体験し、見聞きしたことをまとめたものである。
 駒場寮で暮らした寮生の数は、一万人以上もいるだろう。私はその中の一人であり、寮委員長も経験したが、決して代表的な駒場寮生、というわけでもない。一人のサンプルとして読んでいただければ幸いである。


松本博文『東大駒場寮物語』(KADOKAWA)、12月10日発売決定!


オオスキトモコさんによる、廃寮直前の駒場寮の写真集、発売中!
併せて駒場寮のミニ写真展を11月21日「デザインフェスタ」@東京ビッグサイトで開催!
(場所は西ホール・A-13になります)

角川新書

この連載について

東大駒場寮物語

オオスキトモコ /松本博文

ムツゴロウ、野田秀樹、堀江貴文、小池龍之介など様々著名人が巣立った日本最古の大学寮は、著者が入学した93年には廃寮計画が進められていた。寮にまつわる数多の史実を交え描く、筆者たちの実録青春記。

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