「戦後」は、一九九〇年代に終わらせるべきだった
古市憲寿(以下、古市) 雑誌『論座』の二〇〇七年一月号に、フリーライターの赤木智弘さんが、『「丸山眞男」をひっぱたきたい——31歳、フリーター。希望は、戦争。』というエッセイを掲載して、とても話題になったことがあります。当時彼は、コンビニでアルバイトをしていたのですが、これ以上待遇改善の可能性はない、人生に希望もないと思ってしまう。そこに希望があるとすれば、現在の地位の流動化が起こる戦争しかない——という主張でした。しかし、今の五木さんのお話をうかがっていると、仮に戦争が起こったとしても、「情報格差」が埋められない以上、それは社会の「リセット」なんかにはならない、ということですね。
五木寛之(以下、五木) そう思います。
古市 村上龍さんの『オールド・テロリスト』を読んだ時も同じ感想を持ちました。日本中が焼け野原になった時、確かに見える景色はリセットされるかもしれない。しかし、作中の高齢者が目指したように「歴史を変える」ことは難しいでしょう。戦争をしても「時代のリセット」にならない、というのは、さきほど五木さんがおっしゃった、「すべてを戦前・戦後で分けるのはおかしい」「戦後七〇年という捉え方に、違和感を覚える」という主張に通じるように思います。長年をかけて構築されてきた社会や文化は、戦争が一度起きたくらいでは変わらない。同時に、戦争がなくても、リセットすべきものはしなくてはならない。僕は、「戦後」は、一九九〇年代には終わらせておくべきものだった、と思います。
五木 ああ、なるほど。
古市 戦前から準備された社会保障制度や雇用環境は、一九九〇年代に大胆なリセットを行う必要があったというのが僕の考えです。なぜ九〇年代かといえば、少子高齢化が本格化し、日本が「ものづくりの国」でいられる時代が終わったからです。豊富な若い労働力があり、人件費の安いアジア諸国に世界の工場は移っていった。さらにバブル崩壊で経済成長は止まり、建設業や製造業ではなく、サービス業が主役の時代になりました。九〇年には、前年の合計特殊出生率が戦後最低の一・五七と発表され、「一・五七ショック」と騒がれました。あの時、騒ぐだけではなくて、昭和型の社会を一度「リセット」し、抜本的な対策に打って出ていたら、どうだったでしょう? そうすれば〇〇年代には団塊ジュニア世代が「第三次ベビーブーム」を起こし、日本の少子高齢化に歯止めがかかっていたかも知れない。ところが、日本は「戦後」をきちんと終わらせることができず、無理やり永続させる道を選んだ。九〇年代の経済不況に公共事業を増やすことで対応しようとしました。今も、東京オリンピックさえ開催すれば、日本経済が復活すると信じている人がいます。だけど本当に必要なのは、少子化対策など未来を見据えた社会変革です。高齢者の方は少子化を他人事と思うかもしれませんが、若者が減れば年金はもらえなくなるかもしれないし、景気も悪くなる。だから保育園を義務教育にして乳幼児教育を充実させようというのが僕の主張です。
人は六歳までで決まる
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