追悼】天野貴元さん

2015年10月27日、闘病中であった元奨励会三段のアマチュア棋士である天野貴元(あまの・よしもと)さんが亡くなられました。松本博文記者は天野さんが中学生の時から知っており、『ドキュメント コンピュータ将棋』の執筆のために、本年1月に取材をさせていただいておりました。本著に収めた天野さんの人柄や、将棋に懸ける思いの一端をご紹介することで、天野さんのご冥福をお祈りいたします。

 2015年10月27日、天野貴元さんが亡くなった。

 天野さんは棋士の登竜門とも言える小学生名人戦で準優勝した後、鳴り物入りで奨励会に入会した。羽生善治名人を輩出したことで有名な八王子将棋クラブ出身で、私も中学生の頃の天野さんをそこで見かけたことがある。見るからに才能あふれる少年であり、輝いて見えた。

 後年、私が将棋会館でネット中継をしていた頃、当時奨励会三段で、記録係をよく務めていた天野さんには、ずいぶんとお世話になった。

 筆者が2015年はじめ、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)を執筆する際には、天野さんに改めて話をうかがった。

 以下、本文中に収録した天野さんに関する記事を公開したい。

・石田和雄九段
・天才少年の蹉跌
・勇気を与えたい

 天野さんの奨励会三段編入試験の結果は、4勝3敗。残念ながら合格ラインの6勝2敗には届かず、不合格となった。
 電王戦に関しては、天野さんの予想はいい意味で覆された。阿久津主税八段がAWAKEに勝つなどして、3勝2敗で棋士側の勝利に終わった。

 天野さんには取材時に多くの話をうかがった。その中で、ひとつ印象的な話があった。

 天野さんはあるとき、同じ奨励会三段とVS(ブイエス、1対1の試合形式の研究会)で対戦した。天野さんは、徹夜で麻雀を打った後だった。そして対局の中盤で、盤の前に座ったまま、いつしか眠り込んでいた。それは、決して短くはない時間だった。ふっと気がついてみると、自分の時計が切れている。相手はその間ずっと、盤の前に座り続け、じっと盤面を見つめ続けていた。

 相手はほどなく四段に昇段し、現在はトップに近い位置で活躍をしている。天野さんは、後に年齢制限で、奨励会退会を余儀なくされた。

 そんな思い出話を、天野さんは苦笑いしながら語ってくれた。天野さんはその後、失った時間を取り戻すかのように、最後の最後まで、アマ大会に出場しつづけた。将棋を愛することに関しては、アマもプロも区別はない。厳しい闘病生活の中で、天野さんほど将棋の素晴らしさを再認識し、愛し続けた人は、そうはいないだろう。

 天野さんのご冥福を、謹んでお祈りいたします。    2015年10月27日 松本博文

 石田和雄九段

 2014年末、筆者は柏将棋センターを訪れた。ドアを開けて驚いた。広い場内はほぼ満席で、活気にあふれている。

 近年、将棋クラブの経営は苦しくなる傾向にある。趣味の多様化による将棋人口の減少、ネット対局の普及など、様々な理由が挙げられる。昭和の昔には日本の至るところで見られた将棋クラブは、現在では大都市圏でも見かけることは少なくなってきた。

 その中で、この盛況である。筆者は思わず何度も、
「素晴らしいですね」と繰り返した。

「そりゃね、一番いいときからしたら、減ったんですよ。今は横ばい、鍋底という感じです」
 将棋センターの喧騒の中、多くの人から「先生」と親しげに声をかけられる石田和雄九段は、少し照れくさそうな顔をして、笑った。

 石田は1947年生まれで、愛知県岡崎市の出身。1967年に四段に昇段した。
「いい時代だった。将棋界も上り調子でね。私はいい棋士人生を送れました」(石田)

 一流棋士の証であるA級には4期在籍した。1990年には竜王戦の挑戦者決定戦まで勝ち進み、タイトル戦登場まであと一歩、というところにまで迫った。その実力もさることながら、講談を聞いているかのように面白い、名調子の解説で人気を博した。

 石田は40代なかばまでは、対局一筋の生活だったが、縁があって、柏将棋センターの経営を引き受けることになった。九段の先生が師範ならば、だまっていても客が訪れる、というほどには、将棋クラブ経営は甘くない。石田は、懸命な努力をした。朝から晩までクラブにいた。子供教室であっても、自ら指導をした。多少なりとも、対局には影響も出た。それでもクラブの客は増え、地元の東葛支部は日本一の会員数を誇る支部となった。

 柏将棋センターには、多くの有望な少年たちが訪れた。電王戦FINALの第5戦に出場した、コンピュータ将棋「AWAKE」の開発者であり、元奨励会の巨瀬亮一もその一人である。巨瀬の最近の活躍はよく知っている。AWAKEが指した棋譜を見せてもらったが、理解できないような手を指す。

「コンピュータが強くなって、将棋界はこれからどうなっちゃうのかねえ。教えてくださいよ」
 筆者が逆に尋ねられた。

 石田門下の棋士は、長兄の勝又清和六段を筆頭に、佐々木勇気五段、高見泰地五段、門倉啓太四段、渡辺大夢四段と、多士済々だ。三枚堂達也四段は内藤國雄九段門下だが、石田にとっては門下も同然である。

 石田は将棋センターで数多くの少年たちを見てきたが、中でも幼稚園の時から通っていた三枚堂と佐々木の才能はずば抜けていた。石田は彼らのことを、「たっちゃん」「勇気君」と呼んで目を細める。

「たっちゃんがね、勇気君を連れてきたんだ。それからずっとライバルでね。もう何千番やってるかわからない。親友なんだ。相手がいて、お互いに強くなった。勇気君は毎日、学校が終わってから、タタタタターッと、走ってくる。5時5分に来る。火曜日だけ休みで、あとは毎日来る」
 石田にとっては孫のような彼らの成長が生き甲斐となった。

 石田の元には、柏将棋センターに通ってくる子供たちだけではなく、多くの奨励会入会希望者が紹介されてやってきた。かつては、断っていたこともある。意地悪をしているわけではない。石田はどれほど有望な少年であっても、自分から奨励会入会を勧めたことはない。石田には将棋界の厳しさが、よくわかっていた。

 そうした中で、石田は一人の少年を紹介された。それが天野貴元である。

天才少年の蹉跌

 天野貴元は1985年、東京都八王子市出身。八王子将棋クラブで阿久津主税、村山慈明らと数多く戦ううち、あっという間に同年代のトップクラスとなった。いい勝負をしていた村山は、1995年の小学生名人戦で優勝した。

 翌96年、小学5年になった天野も、決勝まで勝ち上がった。テレビ放映されるベスト4以上の対局は、将棋好きの小学生たちにとっては、あこがれの場である。天野は決勝では実力を発揮できずに敗れたが、それでも小学生準名人として、全国に名前を知られた。

 天野にとっては、同じ八王子将棋クラブの出身である阿久津主税や村山慈明のように、奨励会入会は自然な道だった。石田は席主の八木下征男から、天野の師匠になってくれるようにと頼まれた。甘い評価はしない八木下が、小学2年生のときを比べると、羽生善治よりも天野の方が強いという。ならば、と石田は飛落で天野と指してみた。石田が軽くひねって、試験対局は終わった。

「当時はね、私も強かったんだ」
 石田は笑って振り返る。

 奨励会に入会した天野は、16歳で三段にまで上がった。ここまでは、現在の有望な若手棋士たち、たとえば電王戦FINALに出場している5人のプロフィールと見比べてみても、ほとんど遜色がない。師匠の石田から見れば、三段リーグは通過点、四段昇段は時間の問題だと思っていた。しかしそこから、天野の蹉跌が始まる。天野自身も時間の問題と思っていた四段昇段は、思った以上に遠いものだった。三段リーグで苦戦するうちに、天野は年齢を重ねていった。やがては後輩からも追い抜かれる。そして26歳の年齢制限がやってきて、天野は奨励会を退会した。

 その後、天野は社会人として過ごしていた。このまま新しい人生が続いていくかと思われたとき、天野にさらなる試練が襲いかかった。重度の舌ガンが発覚したのだ。

「びっくりした。人生は本当にわからない。人生はわからないことだらけだ」
 しみじみとつぶやいて、石田は目を閉じた。

勇気を与えたい

 天野に会ったのは、冷たい雨が降る1月の午後だった。

 先立って天野にインタビューを申し込んだところ、交換条件を出された。天野の弟子である小学生と、将棋を指してもらえないか、というものだった。天野が目をかけているほどの強い少年ならば、それほど強くない筆者が指したところで、棋力向上に役立つわけではない。交換条件としては、安すぎる条件だった。

 天野には、いろいろ聞きたいことがあった。電王戦のこと。コンピュータ将棋のこと。最近の将棋界のこと。そして天野自身のこと。

 奨励会を退会した後、天野は改めて、将棋に目覚めた。多くのアマ大会に出場し、つい最近は、赤旗名人戦の全国大会で優勝した。そして規定により、奨励会三段リーグの編入試験を受ける資格を得ていた。奨励会二段の8人と指して、6勝2敗以上の成績をあげれば合格だ。

 舌ガンの手術をしたものの、完治したわけではない。それどころか、今も生命の危機を感じなければならない。そうした状況の中で、天野は編入試験を受けることを決意した。受験にあたっては、石田に手紙を書いた。石田が反対すれば、あきらめるつもりだった。石田は天野の願いに応えて、改めて天野の師匠となることにした。

 天野の受験に反対するつもりはなかったのか。師匠の石田に尋ねてみた。
「彼にとっては、それが生き甲斐になってる。やりたいようにやらせてやりましょう」
 と石田は言った。

 同じ質問を、阿久津にもしてみた。
「僕が一アマチュアだったら、応援するでしょう。でも彼のことは、昔からよく知っている。私にとっては、弟みたいなものです。実際には、6勝2敗は難しいでしょう」

 天野の挑戦は2月に始まる。体調は決してよくない。抗癌剤を飲むと、頭がはたらかなくなる。しかし負けたときの言い訳と思われるのがいやだから、それは黙っている。

 2013年春、天野は手術が終わった後、ネット中継で電王戦を見ていた。親しい佐藤慎一が、ponanzaと戦った一局だった。佐藤は敗れてしまったが、佐藤のがんばりは、闘病中の天野の支えとなった。

「自分が奨励会編入試験を受けることによって、病気で苦しんでいる方々に勇気を与えたいんです」
 と天野は言った。

 天野には、電王戦FINALの勝敗予想も尋ねてみた。
「村山、阿久津は負けると思います。相手(ponazaとAWAKE)が強すぎます。一人も勝てないかもしれません。でも、誰かその予想をくつがえしてほしいです」

                                                                 (了)

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GuchanTag 5年前の今日は天野貴元さんの訃報。 https://t.co/C3Bkdywpu2 29日前 replyretweetfavorite

GuchanTag 4年前の今日は天野貴元さんの訃報。 https://t.co/C3Bkdywpu2 約1年前 replyretweetfavorite

hirokiarato 天野さん、亡くなられたのか・・・。 約5年前 replyretweetfavorite

lebyadkinn @lebyadkinn がん闘病のアマチュア棋士 天野貴元さん死去https://t.co/Ic0QMjgoUt 【 追悼】天野貴元さん https://t.co/OnLqb5JQA9 ステージ4 元奨励会三段・天野貴元の壮絶闘病記https://t.co/2NadKwhlei 約5年前 replyretweetfavorite