「女子」=女のホモソーシャリティ!?
女子会、女子トーク、こじらせ女子、大人女子──最近、「女子」という言葉を目にすることが増えました。たとえば、宝島社の40代女性向けファッション誌『GLOW』は、明確に「大人女子」、あるいは「40代女子」と謳っています。最近の発売号を見ても、表紙にはこのような惹句が踊っています。
・「40代女子の こう着る!大辞典」(1月号/表紙・山口智子)
・「40代女子は わたし新発見!」(12月号/同・小泉今日子)
・「40代女子は コスパ服で ホメられコーデ!」(11月号/同・中山美穂)
・「40代女子 美女オーラ、全開!」(10月号/同・今井美樹)
2010年10月に30万部を完売して創刊された『GLOW』は、一昨年に40万部を突破し、それまで同ジャンルを牽引してきた『STORY』(光文社)に一時はダブルスコアをつけるほど部数を増やしました。
社会学者の米澤泉さんは、こうした40代の「女子」たちに、「まだ人生の主役の座から降りたくない!」といった所信表明を読みます。さらにそこにある男性不在の姿勢に、女子校文化の影響を見て取ります(註1)。この米澤さんの指摘は、非常に鋭いですね。なぜなら、「女子」とは女性たちのホモソーシャリティを指す言葉だからです。そこは男性の存在が意識されない、女性たちだけの場所なのです。
一方、書店に行くと、最近は「ライトエッセイ」といったコーナーに“女子本”がまとめて置かれている光景をよく見かけるようになりました。最近で言えば、峰なゆかさんの『アラサーちゃん』、犬山紙子さんの『負け美女』、そして雨宮まみさんの『女子をこじらせて』などが置かれています。
女子本コーナーは、まさに男子禁制の場所です。実際、私は2012年に『ギャルと不思議ちゃん論 女の子たちの三十年戦争』(原書房)という本を上梓しました。ふざけたタイトルですが、これは若い女性たちの30年を「ギャルと不思議ちゃん」という切り口から描いたマジメな歴史書なんです。学術書にカテゴライズされるタイプの本ではありますが、書店によっては「サブカル」といったコーナーにも置かれることもあります。自分としても「一般書60%:専門書40%」くらいの割合で書いたつもりなので、それも妥当だと考えています。しかし、決して女子本コーナーには置かれません。まるでそこには結界が張られているかのように。その理由も複雑なものではありません。筆者である私が男だからです。女子本コーナーとは、かようにホモソーシャルな世界なのです。
前述した峰・犬山・雨宮3人の著書に概ね共通するのは、自身の体験にもとに「女子」を語る点です。そのほとんどはいわゆる“イタい話”ですが、ポップな文体で面白おかしく語られるので、それほど重くは感じられません。それゆえ同性の共感も呼んでいます。
女子ブームを定着させるために必要な存在
さて、こうした「女子」ブームで思い出されるのは、いまから10年前、2003~04年に起きたいわゆる「負け犬」ブームです。酒井順子さんのエッセイ集『負け犬の遠吠え』に端を発したこのブームは、「三十代以上・未婚・未出産」の「負け犬」女性たちに、大いに勇気を与えることになりました。