18時40分。
約束の5分前に美沙は品川の港南口に到着した。今日は後輩の草加と元部長の坂井虎男と三人での会食だった。とはいえ、美沙は草加に昨日急遽参加するよう言われたゲスト。坂井へ対するサプライズゲストなのだと草加はいうが、サプライズが吉とでるのか美沙にはわかる術もなかった。美沙が現れたとき坂井はどんな顔をするのだろうか? 驚いた顔? 困った顔? 嫌な顔? ……嬉しい顔? くるくると勝手に坂井の顔を想像するも、最後の嬉しい顔だけはうまくいかなかった。そんな間にも時間は過ぎ去り、左腕の時計を見るとすでに針は4分の1を指していた。約束の45分。
草加が現れる様子はない。
「うわっ」そのとき右手に握っていたスマホがブルッと震えた。必要以上に肩も震える。
LINEのお知らせ。「すみません」から始まるメッセージは嫌な予感しかしない。
「すみません。客先でトラブルがあってだいぶ遅くなりそうです。浅井さん先行っといてください」
うそでしょ。なんでこんなときに限って!!!
結局、坂井にひとりで会いに行くのか…サプライズゲストなのに、この待遇って……? なんかバツが悪い気持ちになった美沙は、行くかどうか迷ったが、やっぱり坂井に会えるこの機会を無駄にするわけにはいかなかった。
*
19時。
ガラガラ。
なんとか約束の時間ジャストに到着した美沙が入り口にたつと、店員がやってきて素早い口調で案内された。
「草加さんですね。どうぞ。3名様ですね。お一人様はいらしていますよ。こちらです」
「あ、すみません。あとのひとりはだいぶ遅くなるんですが…」
「そうでしたか。かまいませんよ。ではお二人で先に始められるということで」
「は、はい」
お二人で。こんなフレーズにもいちいち反応してしまう自分がたまらなく嫌だ。
「こちらです」
気づけば部屋に到着していた。個室の引き戸を店員が開けてくれる。
ガラガラ。
「浅井さんお久しぶりですね」
坂井は美沙の顔をみた瞬間にそう言った。沈黙が生まれる前にそう言った。
「あっあのすみません。突然やってきてしまって。草加くんに誘われて……」
「はい。聞いています」
えっ? サプライズって言ってたのになんだかんだ話してたんだ。とりあえずよかった。
「それならよかったです。じゃあ、草加くんが遅れてくることも?」
「あっ、それは聞いていませんでした」
えっ? そうなの?
「そうですか。まぁいいじゃないですか。先にやっていましょう」
「は、はい」
美沙は久しぶりに坂井の目の前に着席をした。中会議室で面談のために向かい合っていたあの頃を思い出す。
「浅井さん、お酒は得意でしたよね?」
「得意……まぁ好きですね。坂井部長はとりあえずビールですか?」
「そうですね」
とりあえずビールをオーダーすると、1分もたたずしてビールが運ばれた。
「では乾杯」
チン。
坂井とグラスを交わす。不思議な感覚のまま美沙はクイっとビールを喉に入れる。はぁ。ようやく緊張から解き放たれた気がする。
「美味しそうに飲みますね」
「あ、はぁ」
照れる。でも本当にうまい。
「浅井さん、最近はどうですか?」
面談のときとまったく同じ問いかけにふたたび不思議な感覚に陥る。
「最近ですか……いろいろありましたが」
「昨日サニーの五十嵐さんと飲みましたよ」
「そうなんですか?」
ってことは……すでに受注のことは知っているのだろう。
「浅井さんのことべた褒めでしたよ。相当気に入られていますね」
「そんな……でもありがとうございます」
美沙はまたクイっとビールを喉に流す。いやグビっと。これ以上にないというスピードで。美沙のわかりやすい照れ隠しの手法だ。そして3杯目のビールが空き、坂井とともに焼酎ロックへと移行したころ、美沙は自然と自分の“いろいろ”を話し始めた。
「坂井部長知ってます? サニーで受注した装置の粗利、70%。70%ですよ。すごくないですか? 私、すごいですよね!?」
普段自分の自慢話をする人間を美沙は残念な思いで見ていた。自分で言わなきゃいいのに……。自分の功績は自分で言ってしまったら価値は下がる一方だ。そんなのあたり前の常識。けれど、美沙は飲むとどうしてもいつも自分が頑張っていることを主張したくなってしまう性分だった。それは本来安心できる人物の前でしか出現しない。親友の彩名にしか見せない素顔だったが、いま不覚にも坂井の前でもそんな自分を露呈していた。
「浅井さんすごいですね」
「えへ」
美沙は完全にシラフではなくなっていた。
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