ソ連兵に差し出された女性
古市憲寿(以下、古市) 五木さんは、引き揚げの時の悲惨さを、ご自身の作品で書かれていますか。
五木寛之(以下、五木) いえ、ほとんど書いていません。こんな話は、あんまりしたことがないんだけれど……。たとえば外国の軍隊というのは、最前線に犯罪者だとか脱走兵だとか、そういう人間を立てるんです。その後ろに督戦隊というのが控えていて、もし彼らが後ろを向いて逃げてきたりしたら、容赦なく銃撃する。
古市 え、味方を撃つんですか?
五木 そうです。そうやって、とにかく前進するしかない状況をつくるのです。古代から軍隊は、必ずそういう二重構造になっている。敗戦時に、僕ら家族は北朝鮮の平壌にいたのですが、旧満洲からの引き揚げ者も含めて、そこで多くの日本人が移動できなくなっていました。そこに入ってきたのが、ソ連軍の、今言ったような最前線の連中です。階級章もろくに着けていないような、僕らは勝手に「囚人兵」と呼んでましたけど、そんな兵隊たち。で、東洋の戦争は、チンギス・ハーン以来、ある土地を占領したら、一週間ぐらい略奪、暴行やり放題の、いわば「ボーナス」を与えられるのが常識なんですね。旧満洲や北朝鮮も、例外ではありませんでした。だいたい二〇人くらいが一部屋に押し込められていたんだけれども、そこに兵隊がやってきて、カラシニコフを突き付け、「女を出せ」と言うわけです。すると、長老みたいな人たちが、「あの人は小さな子どもがいるから」なんてコソコソ相談して、結局、もと水商売風の人とかしかるべき人が、押し出されるようにして……。
古市 そんなことがあったんですか……。
五木 言うことを聞かなければ、自分たちが殺されるとおびえているわけだから。そういう振る舞いがあること自体は、知識として僕の中にもありました。でも、一番こたえたのは、ある日の朝方、連行された女性がボロ雑巾のようになって帰ってきた時のまわりの応待でした。一人の母親が、その女の人のほうに行こうとした自分の子どもを、「病気をもらってるかもしれないから、あの人に近づくんじゃないの」と小声で喋るのを耳にしたのです。
古市 戦争が見せてしまった、人間の悲しい一面ですね。
五木 本当だったら、土下座して涙を流して謝ってもいいはずでしょう。結局、戦争って、そういうものなんですよ。でも、そんな日本人同士の陰湿なせめぎあいなんて、だれもほんとは語りたくはないですよね。話すほうも、暗くなるし。
古市 ただ、そういう切れば血の出るような体験というのは、世代間を超えて通じるように感じます。
戦争を知らない高齢者たち
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