「おはようございます。上杉さん、早いですね」
「あぁ。なんか早く目が覚めちゃって。上期もあとわずかだし、昨日浅井さんと話してたら焦ったってのもあって。でもオフィス一番乗りって気持ちイイな。始業時間までまだ30分以上もあるのに、メールチェックも終えたし心に余裕ができたよ」
「そうなんですよね。私なんか特に不安症だし効率も悪いから、早く来ていないと落ち着かないんです」
「これがいつまで続くかわかんないけど、三日坊主にならないように頑張るよ」
「はい」
昨晩は一打撃で死に絶えそうだった上杉の嬉々とした表情に美沙の心も晴れ渡る。パソコンの電源を入れいつもの手順でまずはメールボックスを開く。すると、先日仕様書を持参し訪問したサニーの進藤課長から受信があった。訪問時の進藤の様子からは、よい内容ではないだろうと思わざるを得ない。美沙は大きく深呼吸をし思い切って進藤からのメールをクリックした。
目に飛び込んできたのはお決まりの“お世話になります”から始まる文面であり、そこそこ長文だったのだが、美沙はすべての内容を把握した。重要な情報は無意識にも瞬時にキャッチしてしまうものらしい。
「うそっ!」そして思わず声が上がる。
「どうしたの?」
驚きのあまり右手を口にあてた美沙に上杉が訊ねる。
「あっ、いや、サニーさんが装置を買ってくれるって」
「うわっ! マジで!?」
「は、はい。一応、社内の稟議が通ったので、うちに決めると」
「やったじゃん! おめでとう!!」
上杉は恥ずかしげもなく美沙に右手を差し出し握手を求めてきた。こんな状況慣れているはずもなかったが、美沙は「ありがとうございます」と言ってぎこちなくも自身の右手を差し出した。
これは美沙にとって初めての受注だった。見積価格は1億2千万。DNSの装置の中でも高額な上に、粗利も70%はあった。値引きについて話す前に受注した。坂井の教えを守った結果、かなりの粗利で受注することができたのだ。これには営業陣みんな舌を巻くにちがいない。越野は腰を抜かすかもしれない。しばらく美沙は初めての受注に陶酔しきっていた。ついで子会社への異動は免れたのだと安堵した。しかし……不意に越野の言葉が蘇り、一抹の不安が美沙の心に浮上した。
「おはようございます」
そんな心境の下、越野が出勤した。
「おはようございます」自然と美沙のトーンは下がるも、上杉はいつにないトーンで挨拶をしている。はやく部長に報告をしろ、と目配せまでしてくる。とりあえず、美沙は苦笑いでその場をスルーした。
始業時間の9時。
プルルル——プルルル——
「大日本精密でございます」
「サニーの進藤ですが、浅井さんですか」
「あっ、はい」
「メールはご覧いただけましたか?」
「はい。ありがとうございます」
「やりましたよ! うちで稟議がようやく通りました! 素晴らしい仕様ですから当然といえば当然なのですが。すぐにでも技術の方と一緒に弊社に来ていただけますか?」
「本当にありがとうございます。近日中にお伺いします。いつがよろしいでしょうか?」
「上期に納入ということでしたよね?」
「はい」
「でしたらこちらはいつでも構いませんので、できる限りはやく来ていただきたいです。装置の搬入は今月中にお願いできますか?」
「はい。もちろんです」
戸惑いつつも、美沙は安堵と喜びで胸がいっぱいだった。受話器を置くと、
「浅井さん」
ひな壇の越野から声がかかった。美沙は静かに越野の元へ向かう。
「いまの電話は?」
「はい。サニーから装置の受注がありました」
その言葉に、越野は瞬時に満面の笑みで返した。
「やりましたね」
やった。本当にやったのだ! 私はやったのだ! 越野の言葉に美沙は改めて実感した。
「いまからちょっとお時間ありますか?」
「はい」
そして越野と美沙は会議室へ向かった。