平和だったような幻想のそばに—米原万里と『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』[赤・白]

ロシア語同時通訳であり、文学賞の受賞を重ねた優れた作家であった米原万里さん。彼女が、小学生時代の級友であったギリシア人、ルーマニア人、ボスニアのボシュニャク人の3人の少女の消息を確かめた記録が『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』です。1996年のドキュメンタリーによる再訪がきっかけとなった三人の同級生、その後はいったいどうなったのでしょうか。

自称ルーマニア人の嘘と真実

 社会主義の建前を矛盾したままに押し通すことで、小学校時代に「嘘つきアーニャ」と滑稽に呼ばれた自称ルーマニア人のアーニャはその後どうだったか。二編目に描かれる彼女にも歴史の激流が押し寄せていた。1989年のチャウシェスク体制の崩壊に至る歴史である。

 ちょうど米原が帰国した翌年、ルーマニア共産党書記長・ゲオルゲ・デジが死去して政局は混乱し、その渦中でニコラエ・チャウシェスクが第一書記に就任した。彼は次第に共産主義の看板の下、自身の権力を強化し、1967年に元首となり、1974年に自らが導入した大統領制によって大統領となった。つまり独裁者となったのである。少女時代のアーニャは一面で、矛盾した社会主義者である独裁者チャウシェスクのカリカチャ(戯画)でもあった。

 チャウシェスクの独裁政治は長く続いたが、崩壊した。1989年、困窮し尽くした国民の怒りは暴動に近い状態を招き、体制はあっけなく崩れた。彼は惨殺に等しい最期を迎え、その写真は世界中を震撼させた。
 アーニャはしかし、米原が音信を追うと、それ以前に体制の抜け穴をくぐるようにルーマニアを脱出していた。どういうことなのか。そこがアーニャ再訪の山場である。ルーマニアの激動のなか、アーニ・・・ャはル・・・ーマニア・・・・人としての・・・・・アイデンティティ・・・・・・・という嘘の裏面で、・・・・・・・・確実にユダヤ人・・・・・・としての自分を・・・・・・抱えていた・・・・のだ・・った。・・・彼女の生き方は一面では特殊なものだが、他面、国家を持たずに、子供など子孫を優先に安全な国や都市を渡り歩くのユダヤ人の歴史の象徴とも言えるものだった。

祖国を知らなかったギリシャ人の少女

 もう一人、本書の第一編として序章的に置かれたギリシャ人のリッツァ再訪はどうだったか。それはヤスミンカやアーニャほど過酷なものではないが、悲劇があった。

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