イカレた元刑事の暴走っぷりを描き切った『果てしなき渇き』は、驚くべきことにデビュー作だった。『アウトバーン 組織犯罪対策課 八神瑛子』をはじめとする八神瑛子シリーズでは、同僚にカネを貸し付ける美貌のアウトロー刑事を描いて人気を博した。
ヒット作を続々と送り出してきた深町秋生がこのたび挑戦したのは、意外にも歴史ものだった。戦後占領下日本を舞台とするスパイアクション。読み心地も読後感も、これまでの深町作品とは大きく異なる。
『猫に知られるなかれ』は、なぜ、どのように生まれたのか。彼のなかではあくまでも異色作なのか、はたまた作家としての変貌を告げる新境地なのか。
映画『渇き。』原作として改めて注目を集める『果てしなき渇き』など、過剰なまでの過激さを持っていたり、先へ先へと読み進める欲望が極限まで肥大化していくのが、これまでの深町作品の特色でした。が、新刊『猫に知られるなかれ』は印象がずいぶん違います。
今作は、先を急いでいない。じっくり読めて、作品世界の奥へ分け入っていく快楽があります。変化の理由は?
単純に歴史ものを初めてやってみた、それで雰囲気が変わったということですよね。戦後間もない東京が舞台なんですけど、自分が見知っている世界ではないのだから、史料にあたり、あれこれと読み込んだうえでつくっていかなくてはいけません。
たとえば、コーヒーひとつ登場させようとしても、いろいろ調べてみないと書けない。コーヒー豆は当時の日本で流通していたのかどうか。どんな人なら飲むことができたか、などなどを追っていく。するとやっぱり、一般人が実際にコーヒーを飲めるようになるのは、作品の舞台にした1947~48年よりももう少しあとになってから。このときはまだ、「代用コーヒー」の時代ですよ。タンポポの根っこを使ったりして。
作中、主人公の永倉一馬は、「コーヒーかお茶でも、お持ちしましょうか」と聞かれて、「コ、コーヒーがあんのか?」と浮き足立ちます。本物にありつけないような時代だったからこその反応なのですね。
そう、あの場面であたりまえのように「じゃ、コーヒーをくれ」と頼んだりしていては、焼け跡を舞台にした小説にはならないんです。調べようとおもえば、気になるところは数かぎりなくあります。やってみるとほんとうにたいへんでした。担当の編集者は何度も国会図書館に足を運んでくださったりもして。ありとあらゆる史料を手に入れては読み込む、の繰り返し。資料代だけでも赤字になってしまうんじゃ……、と心配になるほどです。
たしかに歴史を調べていくのは、キリがない作業になりそう。同時に、それほど史料にあたると、いろいろな発見もありそうですね。
永倉は池袋で用心棒をしていましたが、池袋の闇市の様子も史料があったのでじっくり目を通しました。実際に何が焼けて、何が残ったか伝わっていて、一面ほとんど焼け野原のなか、立教大学の赤レンガだけ残っていたという。そこから想像して、赤レンガがひょっこり立ち尽くしている周りをバラックが並ぶ様子を、勝手に頭のなかでつくり上げ、「こんな風景かな」と想像していきました。史料から風景を手繰っていくということはよくしましたね。
そうやって徹底的に調べ尽くしていって、ようやく当時の空気を味わえるようになる。戦後間もないころの風景を再現すること。今回はそれをいちばんのポイントにして書き進めました。だから、これまでの作品とはかなり違った雰囲気になっているのでしょう。
なぜ今作では「歴史」を扱おうとおもわれたのですか。戦後の占領下という時代を選んだことの理由は?
これまで基本的に現代劇を書いてきたし、これからもそうなるとはおもうんです。現にいま5、6本の連載が同時進行中ですけど、どれも現在の話で、たいてい警察か暴力団、あるいはその両方にまつわるストーリーです。が、そういうのをやっていると、じつはちょっとたいへんな面があるんですよ。