バック・トゥ・ザ・フューチャー 
優等生の裏側

ブロガーの伊藤聡さんによる連載「およそ120分の祝祭」が始まります。多くの人が知る映画作品を改めて見て、そこから新たな楽しみや意外な発見を引き出そうという試みです。第1回目はロバート・ゼメキス監督の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を取り上げます。この痛快な作品に潜む思わぬテーマを探ります。

「およそ120分の祝祭」について

すぐに影響されやすい性格で、子どものときから損ばかりしている。自分の知らない文化や新しい表現に出会うと、ほんの一瞬でかぶれてしまうのだ。これだけは自分でも制御が効かず、そのせいで結果的にはよくわからない人生になってしまった。かぶれはやっかいだ。何かにかぶれたとたん、まるで酩酊したように他のものごとがほとんど考えられなくなる。好きな曲を見つけると、一日中その曲が頭の中で鳴っているし、気に入った映画のシーンはその場面を脳内で何度も反芻しつづける。こんなようすだから、端から見れば、熱に浮かされてうわごとを言いながら歩いている夢遊病の患者にしか見えず、周囲との会話もかみあわないため、しだいに奇異の目で見られるのだ。

しかし考えてみれば、物心ついたときからふりかえって、現在にいたるまで、自分が何かにかぶれていない時期がおもいだせない。いい歳をして何かにかぶれているなんて滑稽で恥ずかしいとおもうが、他の生き方を知らないので変えようがない。協調性や社会性に欠ける自分は病的なのではと心配したこともあったが、年齢的にも中年にさしかかり、さすがにあきらめがついた。今回、こうして映画について書く機会をいただいたのだから、映画から発せられたウィルスに感染してしまった瞬間について、何かに憧れ、かぶれた僕自身の高揚について書きたい。

この連載は、超定番映画ガイドとして企画されています。取り上げるのは、誰でもタイトルは知っているであろう有名な映画、世間的によく知られた作品に限定しました。有名な作品について書くことはハードルが高いですが、すでに映画を見た方にも、まだ見ていない方にも、新しい発見があるようなガイドを作るのが目標です。資料の読み込みや下調べはじゅうぶんに行い、ただしデータにとらわれず、純粋に読みものとしてたのしめる内容を目指します。ご期待ください。

 



誰がどう見ても絶対におもしろい映画、退屈なシーンがおよそ見あたらない物語。見ていることが前提である基礎、広大な映画の世界へ足を踏み入れる際のスタート地点となるような作品。80年代に思春期をすごした映画ファンにとって、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」('85 - '90)三部作はきわめて特別な意味を持つシリーズだ。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』('85)を初めて見た日、世の中にはこんなにおもしろい映画があるのかと、しばらく啞然としたことを覚えている。魅力的な作品は数あれど、少年少女に未知の扉を開いてみせることのできる作品は限られている。「スター・ウォーズ」('77 - '83)や「トイ・ストーリー」('95 - '10)の三部作がそうであるように、その後さまざまな映画と出会っていくために必要な最初のレッスンとして、なにしろ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」三部作はうってつけだった。僕自身、80年代に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(略称は『BTTF』)で感じた高揚がなければ、その後の映画体験もいくぶん変わっていたようにおもう。

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中学から高校にかけて80年代の海外文化にふれた僕は、当時、音楽番組『ベストヒットUSA』や、映画雑誌『ロードショー』『スクリーン』といった数少ない情報源を通してうっすらと見える、明るく自由でからっとしたアメリカの雰囲気に憧れていた。アメリカはかっこいいし、英語は派手っぽくてかっこいい。地方に住み情報が限定されていたぶん、自分を取り囲む環境はやけに閉鎖的に感じられ、目新しい文化への憧れはさらに強まった。アメリカの都会に住めば、音楽の授業で民謡の「会津磐梯山」を合奏させられることも、芋煮会で里芋の入った豚汁を食べさせられることもなくなる(僕は豚汁に里芋を入れるのが好きではないのだ)。海外文化にかぶれた中学生の僕にとって、アメリカは最高に理想的な場所に見えた。

アメリカへの憧れは高まり、しだいに僕の使命は、あらゆる日本的な土着性からの逃走へと変化していった。イナゴの佃煮から逃げ、正月にしめ縄をつけて走る車から逃げ、暴力団のみかじめのようにベルマークを徴収する学校から逃げ、誰の手にも届かない場所へ到達したかった。同じ価値観を共有できる理解者もなく、輸入レコードを買う瞬間、映画館の座席からスクリーンを見つめるひとときにだけ訪れる高揚だけを支えに現実をやりすごすうちに、想像上のアメリカに対する憧れはさらにふくらみ、なぜ自分はアメリカ人ではないのだろうと出自を呪った。だからこそ、『BTTF』に描かれるポップな80年代のアメリカに強く惹かれたのだった。

『BTTF』には、ヒル・バレーと呼ばれる、明るく清潔で風通しのいい舞台が設定されていた。エレキギターとスケートボードが得意な主人公の軽やかさ。プロモーションビデオのように演出されたオープニングの映像と共に流れる、テーマ曲「パワー・オブ・ラブ」の高揚感。また、なぜか過剰にジェスチャーの多い主人公の父親が、ひらひらと手を動かしながら会話するようすにも興味を惹かれた(アメリカ人は本当に、あんな風に忙しく手を動かしつつ話すのだろうか?)。

そのどれもが、東北の小さな町とは似ても似つかないほどに輝き、垢抜けていた。これだよ、スケボーで学校に行っちゃうこの感じなんだよと、ビデオを何度も再生しながら、僕はすっかりヒル・バレーの光景に見とれていた。10代の僕にとって『BTTF』の世界はとてもまぶしく感じられたが、あるていど時間を置いてふたたび作品を見てみると、当時は気づかなかったさまざまな要素が見えてくる。

一般的に、『BTTF』は家族そろって見られる、健康で優等生らしい映画だとおもわれがちだが、実際には奇妙ないびつさをいくつも抱えている。監督ロバート・ゼメキスと脚本家ボブ・ゲイルのコンビが、さまざまな映画会社に『BTTF』の脚本を売り込みながらことごとく断られていたのも、そうしたいびつさのためだ。彼らは『BTTF』を「主人公が両親の高校時代にタイムトラベルし、母親に恋心を抱かれる映画」だと説明していたため、どの映画会社も、近親相姦(インセスト)を扱った脚本へ出資することを躊躇していた。

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この連載について

およそ120分の祝祭 最新映画レビュー

伊藤聡

誰しもが名前は知っているようなメジャーな映画について、その意外な一面や思わぬ楽しみ方を綴る「およそ120分の祝祭」。ポップコーンへ手をのばしながらスクリーンに目をこらす――そんな幸福な気分で味わってほしい、ブロガーの伊藤聡さんによる連...もっと読む

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コメント

heimin 連休中に三部作通して見たのでこれを読んだ。明るく自由なアメリカへの憧れと、閉鎖した故郷(日本的土着性)からの逃走。子供から大人になり、やがてアメリカ(=BTTF)への距離感が微妙に変化していく。面白い。 4年以上前 replyretweetfavorite

Jinzenjiii 2013年に大好きだった記事" 伊藤聡/およそ120分の祝祭 「」 https://t.co/dRewtLLNAa  4年以上前 replyretweetfavorite

uta_uz 涙がでた。→アメリカン・ビューティー 美しさの正体|伊藤聡| 5年弱前 replyretweetfavorite

gladdesign また観たくなるなあ/|伊藤聡|およそ120分の祝祭|cakes(ケイクス) http://t.co/S5JOELFjno 5年以上前 replyretweetfavorite