『キック・アス』(’10)や『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』(’11)などで知られる、イギリス人監督マシュー・ヴォーンの最新作『キングスマン』は、昨今シリアスな方向へ振れているスパイ映画に、ジャンルほんらいの大らかな魅力を復活させるというコンセプトで撮られた作品である。
「007」シリーズがアート的な完成度を高めようとするのに対し、『キングスマン』は、ユーモラスな小道具、忍者屋敷のようなしかけが満載の秘密基地、現実離れした悪役、派手なビジュアルイメージなど、往年のスパイ映画らしさを強調することで新鮮さを取り戻した。主人公の青年エグジー(22歳)は、国際的諜報機関「キングスマン」の一員となるため、新人選抜試験に参加する。いっぽうニュースでは、優秀な学者、科学者が連続して失踪する事件が報じられ、すでに調査にあたっていたキングスマンは、IT企業の社長ヴァレンタインの関与を疑う。青年は選抜試験に合格し、失踪事件の真相を暴くことができるのか──。
本作最大の魅力は、作り手であるマシュー・ヴォーンが、劇中の世界観を心から信じて撮っている点にあるだろう。敵を攻撃できるペンや腕時計、防弾仕様の傘、秘密基地へ移動できるからくり部屋。彼はこうした細部に映画の魂を宿らせようとする。諜報員のための銃や各種ガジェットがきれいにディスプレイされた部屋をとらえるショットからは、作り手の美意識が感じられて心地よい。監督はこれが本当にすばらしいものだと信じて撮っている。観客にその熱気が伝わるようである。仮に情熱が中途半端であった場合、映画そのものも、過去作の表面だけをなぞった擬似的な懐古になってしまうし、非現実的な悪役のもくろみにも説得力が欠け、映画じたいが成立しなくなる。『キングスマン』を成立させているのは、監督がこの世界観を信じるエネルギーではないか。
さらに映画をユニークにしているのは、コメディタッチの陽性なストーリーに影を落とす復讐のモチーフだ。マシュー・ヴォーン作品が観客の共感を誘う要素のひとつは、「虐げられた者たちの、満を持しての反逆」なのである。本作でいえば、主人公の母親(未亡人)が、夫の死別後新たに交際している、気性の荒いDV男との関係性がそれにあたる。母親や青年は暴力をふるわれても抵抗できず、男の言いなりになるしかなかった。成長した青年が、この悪役の男に落とし前をつける展開は、本作において大きなカタルシスをもたらす場面となっている。