さらば国分寺書店のオババ(椎名誠)前編

椎名誠というと、どういうイメージを浮かべるでしょうか? ある一定の歳より下の世代の方は、テレビに出る「冒険をする作家」というイメージが強いかもしれません。今回のfinalventさんの書評は、椎名誠のエッセイデビュー作『さらば国分寺書店のオババ』。実は本書が日本人の「言葉」に大きな影響を与えたことを、finalventさんが解き明かします。そんな刺激的な椎名誠評を、前後編でお届けします!

日本の書き言葉を変えた椎名誠の文体

 ひとつの時代が過ぎ去ってみるとわかるが、人々の言葉への意識を大きく変えてしまう本がある。あるいは、それ自体に強い影響力がなかったとしても、人々が新しい言葉の世界に移り住みたいという思いを抱え込んでいるときに、その本が古い言葉の巨岩群に最後の一撃を与えて崩してしまうことがある。椎名誠の作家としての処女作、『さらば国分寺書店のオババ』(新潮文庫)は、そのような本だった。

さらば国分寺書店のオババ (新潮文庫)
さらば国分寺書店のオババ (新潮文庫)

 1979年に出現し、日本の出版文化の言葉が変わった。変容は徹底していた。1980年代以降に生まれた人は、その亀裂の存在に気がつかない人すらいる。しかし存在する。この本を古典として意識してその裂け目を見るとき、人々の言葉への思いという歴史の原動力に向き合うことになる。

 いや、そうしかつめらしい説明を弄する必要はないのかもしれない。当時革新的と言われたその「昭和軽薄体」は軽い言葉だ。1980年代以降の書き言葉に強い影響を与えたが、本書の登場なくしても、いずれ書き言葉は、戦後の口語を模倣していただろう。その軽さは、軽いものとして正しく受け止めてよい。そのうえで『さらば国分寺書店のオババ』はシンプルに笑える本でもある。伊武雅刀がラジオドラマ枠で朗読したときは抱腹絶倒したものだ。立食パーティで、寿司ネタをあさるというシーンはこう描かれる。

 まよい箸をごまかすために、いち早く「みる貝」をつまみ、ああ、よかった、君がいて助かった、と一瞬は思ったものの、ハッと気をとり直せば思いもよらぬものをつまんでしまった、という落胆が露骨にひろがってくるし、落胆はまもなく憤慨にかわり、それがじわじわと2LDK新妻対シュートメ的憎しみの午後という状態に変わっていくのはきわめて当然の成り行きである。

 趣旨や人間関係に関心を向けるべき立食パーティでどうでもいいような些末な話を、饒舌にしかしきらびやかな話芸に展開していくところにこの文体の特徴がある。書き言葉にはない落語のような楽しさと、日本語の絢爛な可能性も示していた。が、現在では普通に誰もこうした文章を書けるようになった。

 昭和軽薄体が空気のように当たり前になり、かつてのいかめしい書き言葉も相対的になった現在だが、本書を読み返すとき、批評の意識はある種、形容しがたい違和感に捕らわれる。「椎名誠の憂鬱」とでも呼びたいような何かだ。

『本の雑誌』と椎名誠はどこに立脚すべきか

 振り返ってみたい。1979年、本書の出版は熱狂的に受け入れられた。読書人と呼ばれる人たちは全員読んだ。そのこと自体が革命的な出来事だった。ベストセラーはたいていの場合、その誤解も含めて大衆の意識に近いところに偶然に落ちてくるだけで、読書人たちはそのまま受け取ることはない。書かれた言葉の価値を熟知しているからだ。しかし、このとき読書人は一見軽薄に見える書籍の価値を確かに認めた。

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