誰も負けず、誰も勝たない。
互いに相手をじっと見て、相手の思いを汲み取って自分の態度を決める。
(山極寿一)
ゴリラにとって弱さとは?
イシュマエルは想像上のゴリラだったが、今度は本物のゴリラだ。アフリカの森の中に棲むゴリラを長年研究してきた人類学者の山極寿一の話に耳をかたむけたい。きみは、人類学者なのに、なぜゴリラなのか、と思うかもしれないね。それは、進化の歴史の中で、とても近くて深い関係にあるゴリラやチンパンジーなど(同じサルの中でも、特に類人猿と呼ばれる)を調べて、比較することで、人間についてもよりよい理解が得られると考えられるからだ。
ぼくがまず注目したいのは、ゴリラたちが、お互いに相手を受け入れる能力に優れている、という点だ。その点でゴリラは人間よりも上だと山極は言う。
彼によると、他のさまざまなサルたちと異なるゴリラの重要な特徴は、「負ける」という概念をもたないこと。つまり、「負ける」ということがどういうことだか、ゴリラにはわからないというのだ。
ゴリラは誰を相手にしても「負けました」という態度をとらない。そんな感情もないし、そういう表情も備えていません。子どもでもメスでも、体力の差によって「参りました」という態度で相手に媚びることはないのです。
人間はどうだろう。相手にかなわないとなると、降伏したり、屈服したり。ここでは負けても、ほかでは勝とうと考えて自分をなぐさめたり。負け惜しみを言うのも、負けたふりをするのも人間だ。でも、「ゴリラにはそういう面が一切ない」のだという。
これは、山極によれば、ゴリラに「優劣」の意識がないことを示している。そして、この点で、ゴリラは人間ともサルとも異なっている、と。たとえば、ニホンザル社会にはきっちりとしたヒエラルキー(階層、固定的な上下関係)がある。
優位なサルは肩の毛を逆立て、尻尾をぴんと上げてのしのしと威張って歩きます。これは自分の優位性を誇示するためです。また劣位なサルは、自分が劣位であることをいつも態度で示します。
たとえばサルは、自分より優位なものに対して、歯をむき出す「グリメイス」という表情をつくったり、視線を避けたりして、自分の劣位を示す。その点、ゴリラは……
自分の立場が相手よりも下であることを示す表情をそもそも持っていないのです。また、ゴリラはじっと相手の目を見つめます。威嚇されても相手の視線を避けないのです。
とはいえ、人間や他のサルと同様、ゴリラにもケンカはある。しかし、ちがうのは、ケンカに仲裁が入る、つまり、間に入ってケンカを止める第三者がいる。
力の優劣がないので、メスであれ子どもであれ、堂々とオス同士の喧嘩に割って入れるのです。……ゴリラの喧嘩の仲裁は非常に平和的です。というのも、第三者はどちらにも味方しないのです。
メスや子どもが、ケンカしている自分よりずっと体の大きいオスの間に入って、「背中や腰に軽く手で触れ、顔を寄せて覗き込む」。すると、「オスたちは冷静さを取り戻して、一件落着となる」のだという。こんな光景は人間ではなかなか考えにくい。
ニホンザルの場合は、「優位のサルに大勢が味方して、喧嘩を終わらせる」のがふつうらしい。だがゴリラのケンカでは、どちらかが勝ってどちらかが負ける、という結果にならない。誰も負けず、誰も勝たないのだ。 さて、人間はゴリラとサルのどちらに似ているときみは思う?
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