彼が長らく思い悩んでいたということには、時が経つほどに同情的になっていた。しかし、それを伝えるあのメールの悲愴な口調には、彼がほんの気散じにつきあっていたような女にこそ相応しい類の、そこはかとない安っぽさがあった。
“芸術家としての苦悩”などという物珍しい理由をあんなふうに切り出されたならば、大抵の女は面喰らって、彼との関係を諦める気になるだろう。
しかし、自分に対しては、もっと違った打ち明け方があったのではなかったか? そんな、相手が誰であろうと怯むような、散々使い回されたふうの深刻さとは異なる言葉が。——自分たちは、いつもそうして、ただ二人だけの特別の会話を交わしていたのではなかったか? お互いが、他の誰よりも深く相手を理解し、だからこそ必要とし、求め、愛し合っていたのでは? それは、彼とつきあう誰もが、束の間、夢見心地に信じてしまう、ありきたりな思い込みに過ぎなかったのだろうか? それとも、彼自身が一度はそう信じ、結局、いつもの幻滅を反復しただけだったのか。……
もし彼が、前夜のメールを取り消して、改めて愛を告白し、結婚したいとその意志を伝えるつもりであるならば?——あまりありそうにないことだったが、洋子はそうした希望をまだ捨ててはいなかった。しかし、たとえそうであったとしても、その言葉を、ほっと胸を撫で下ろしつつ受け容れることは出来なかった。
自尊心のためばかりではなかった。そのためには、彼の抱えている問題と向き合い、自分として何が出来るかを考えるための真っ当な話し合いが必要だった。場合によっては、彼女こそがむしろ、彼と別れるという冷静な選択をしなければならないのかもしれない。しかし、何かほんの些細なきっかけでも暴発してしまいそうな今の危うい精神状態では、それとて決して望めなかった。
今はただ、猶予が欲しかった。せめてそのための時間だけは、彼に待ってほしかった。
長崎へ行く当日の羽田空港では、飛行機に搭乗し、ドアがロックされる最後の瞬間まで、蒔野が来るのではないかという予感を捨てられなかった。
機内に遅れて乗客が入ってくる度に、洋子は息を呑んで目を向け、そして、小さな溜息を吐いた。それは、あえかな期待であるのと同時に不安であり、結局、隣が空席のまま、飛行機が滑走路へと向かい始めた時には、彼女は落胆しつつも、これで良かったのだと自らに言い聞かせた。
長崎空港までは、母が車で迎えに来てくれた。
事前に何も伝えていなかったので、娘が一人で出てきたのを見て、彼女は、「あら、“新しい恋人”は?」と怪訝そうな顔をした。
洋子は、無意識に見るともなく後ろを振り返り、首を振ると、「色々あって。」とぎこちなく頬を緩めた。
母は、しばらくその顔を見つめていたが、やがて、
「あなたの人生も、わたしに劣らず、色々あるわね。」
と娘の苦笑につきあった。
「ヘンなとこが似ちゃったのよ。」
洋子は、気を取り直して軽口をたたいた。
母が歳を取り、また、自分が歳を取ったせいかもしれない。
飛行機に乗る時に電源を切っていた携帯電話を、一旦は取り出したものの、電源は入れずに敢えてそのままにしておいた。
静養という意味では、恐らくそうすべきだった。
洋子の実家は、街の中心地よりやや南の方で、グラバー通りから少し登ったところの小高い丘の上にあった。
石垣の上に庭が設えられた古い日本家屋で、中には、母のヨーロッパ時代の記憶を喚起する品々がそこかしこに置かれている。サラダの水切り用の取っ手がついたザル一つ見ても、洋子は、ジュネーヴのアパートにいた頃の懐かしい日常を思い出した。
元気そうだったが、祖母が庭で転倒して亡くなっただけに、母の独り暮らしも気懸かりだった。
部屋は十分な数があるものの、蒔野とは、ここから車で二十分ほどの伊王島のリゾートホテルに宿泊する予定だった。予約したのは母だったが、どうせキャンセル料がかかるのだからと、一泊だけは親子で泊まりに行くことにした。
「もっとつきあってあげたいんだけど、わたしも忙しいのよ。日中は、予定が色々あって。」
洋子の母は、毎年夏に、〈平和大使〉としてジュネーヴの国連欧州本部で演説をする高校生たちに、英語とフランス語の特訓をするボランティアを今年から始めたらしかった。丁度、八月の夏休みを利用して本番に臨み、数日前に帰国した彼らの夕食会に出席する予定らしく、気晴らしにあなたも来たらと洋子を誘った。
あれほど長崎に——日本に——帰るのを拒み続けていた母のその心境の変化に、洋子は驚いた。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。