仕事そのものよりも、行き帰りの満員電車がつらかった。
僕が新しく就いた仕事は、PCやプリンターの出張修理というのが主な業務内容なのだけれども、勿論、新人の僕がいきなり一人で客先に派遣されるというようなことはない。研修中ということで、事務所で同期の新人と共にプリンターの分解、組み立てを行ったり、先輩社員について行ってその仕事ぶりを観察するのが、いまの僕の業務の全てである。
出社は朝九時で、帰宅も夜九時を越えるという長丁場ではあるけれども、機械いじりは子供の時に遊びで電子工作をやった頃のような気分で、レーザープリンターの部品を一つ一つ取り出しては、へえ、今まで皆が使っていたこの機械の中身はこんなことになっていたのかと、面白い。客先を回るのも、先輩社員が運転する車の助手席に乗って、のんびり雑談などしているだけで、先輩も皆良い人ばかりであったから、昼食のあとの眠気に気をつけるくらいで、特別困難なところもない。思っていたよりも職場にはうまく馴染め、今のところなんの不満もなかった。
ただ、とにかく電車がつらかった。特に帰りの電車がつらかった。
プラットホームに到着し、ドアが開いた途端、ドア付近の乗客が二、三人ほどホームにこぼれ落ちて来るような混雑具合で、もうどう見たってこれ以上乗れっこないというような車両に、客たちは無表情のまま、ドアの縁に手をかけ、ねじ込むようにして体を車内に押し込んでゆく。粛々と人と人が圧迫し合う中へ身を投じてゆく。
すさまじいものだ。恐ろしいものだ。その様子を見ているだけで、僕などは圧倒されてしまう。現代人という存在は、もっと複雑で豊かな精神を持ち、泣いたり笑ったりする、いい生き物じゃなかったんだろうか。どうしてこれほど無感情になれるものなのか。僕も高校生時代は電車で通学していたけれど、まるで混み具合が違う。これが、二、三本見送ってみたところで緩和されるでもなく、終電まで似たような状態が続くのである。だから観念して、やって来た目の前の電車に乗り込むしかない。運命を受け入れるしかない。
サラリーマンというものは、おっとろしいものだなあ。世間のごくありふれた冴えない大人たちも、こんな壮絶な毎日を日常としていたのか。僕も、たまになら我慢が出来たが、これが毎日続くのだと思うとたまらない。日々同じ時間に寝て、同じ時間に起きなくてはいけないという時点でつらいのに。正直言って、労働内容以外の部分で、早くも辞めたくなっている。会社に行きたくなくなっている。僕の立場ならそれも容易だろうが、世のお父さんがたはそれも出来ぬのだなあ。
僕はいままで、心中のどこかで、平凡な会社勤めを軽んじる節があったが、これからは改めようと思う。彼らは強靱な精神と肉体を持った、僕などには及びようもない偉人たちであった。僕もいずれは、彼らと対等に胸をはって話すことが出来るようになるのだろうか。ちょっと、自信がない。
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