生きものの知性
スズキは同じ本の中で動物学者ドナルド・R・グリフィンの次の一節を引用している。
人間だけが意識的な思考を独占しているという前提は、動物たちがその日常生活において難問をいかにみごとに処理しているかについて多くを学ぶほど、支持しがたいものになる。
知的な営みをするのは動物だけではない。植物もそうだ。いや、すべての生命体がそうなのだ。『プラント・インテリジェンス(植物の知性)』の著者である植物学者のスティーブン・H・ブーナーはこう言っている。
地球上のすべての生命体が高い知性をもっていることの証拠はたくさんあるというのに、そのことを私たちのほとんどが知らされないでいる。西洋の子どもたちは、いまだに学校で、そして文化によって、知性こそが人間の第一の属性だと教え込まれている。そして、他の生命たちは知性において劣っている、と。それはたいがいピラミッドの頂点に人間がいて、そこからイルカ、チンパンジー、イヌ……と下に向って降りてゆくというイメージだ。そのまた下に鳥やトカゲや虫などが、そのまた下には植物や微生物が……というふうに。19世紀から20世紀初頭の頃のこうしたひどくまちがった考えが、いまだに私たちにつきまとっているとは、実に情けないことだ。
ブーナーによると、これまで人間特有のものとされていた三つの能力—— 自己認識、知性(インテリジェンス)、意味の探求——を、実は、あらゆる生命体もまた兼ね備えているというのだ。
次に、キノコやカビなどの菌類を専門とする生物学者で、環境問題にも熱心に取り組むポール・スタメッツの、あるインタビューでの言葉を紹介しよう。
私は自然の知性(インテリジェンス)を信じている。その自然とコミュニケーションをとるための言語能力が私たちにないからといって、自然に知性がないことにはならない。問題は、あちらの意志がわからないでいるこちらの方なのだ。私たちがいかに生きものたちに支えられて生きているかをしっかりと理解しないかぎり、その生きものばかりか、自分自身を絶滅に追いこむことになるだろう。
さて、このように、生きものの知性についての議論をつなげていくと、その先に、アッと驚くすごい理論が待っている。それがガイア理論。地球そのものが知的生命体だ、というのだ。この考えによると、地球上に暮らすすべての生きものたちは、地球が安定してちゃんと機能し続けられるように、協力し合って、行動している。つまり、地球という星全体の健康といのちを保つ、というひとつの目標でつながり合っているにちがいない。
そう考えれば、世界はもう、生物たちが単に自分だけの生き残りをかけて他者と競争する場所ではない。地球といういのちのためにすべてがつながり、協力し合っているなら、どちらが大きいか小さいか、強いか弱いか、優れているか劣っているか、は意味を失ってしまう。あの宮沢賢治の「どんぐりと山猫」のドングリたちの争いみたいに。 そして、これまでの「進化」という言葉に、「ともに」という意味を頭につけて、「共進化」という、新しい言葉が登場する。だが、これについてはここで止めておこう。 科学者とはちょっと異なる視点だとはいえ、詩人、長田弘の言葉もまた、ぼくたちがガイアとしての地球に生きていることを教えてくれるようだ。
人の日常の中心には、人の在り方の、原初の記憶がひそんでいます。
街にたたずまう大きな樹が、見上げて樹の下に立ちつくす一人に思いださせるのは、そうしたこの世における、人の在り方の、原初の記憶です。人はかつて樹だった…
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