世界に名を広めたダンス・アーティスト
マイケル・ジャクソンに憧れてダンサーになり21歳で単身渡米、22歳にして世界最高峰の舞台で活躍することになったケント・モリ。2009年、マドンナの専属バックダンサーを務めていた彼は、マドンナのツアー舞台上で、亡きマイケル・ジャクソンの追悼ダンスを踊った。その勇姿は、世界の人々にケント・モリという日本人ダンサーの名を記憶させることになった。
明確な目的を持って日本を飛び出し、国境という名の“扉の向こう側”で活躍する彼は、トップダンサーとして、これまでに49カ国、200以上の都市でパフォーマンスを行ってきた。だが、海外への扉を開いたという意識はない。自身の経験を踏まえたうえで、彼は言う。
「がんばって扉を開けたと思って振り返ったら、そこには扉なんか全然なかった。そう気づくことが、本当の扉の向こう側にいることなのかもしれない」
LAで受けた衝撃が人生を変えた
22歳で世界のトップダンサーの仲間入りを果たしたという経歴を考えると、ケント・モリが本格的にダンスを始めたのは、意外と遅い。なんと、19歳の時だ。
「子どものころからマイケル・ジャクソンに憧れ、ダンサーになりたいと公言してはいたけど、実際には趣味とも呼べない程度。マイケルのまねをして、要するに“スーパースターごっこ”ですよ。でも踊りをまねるというよりは、エネルギーをまねるというか、自分の中にマイケルの波動を入れるという感じだった」
大学入学後、愛知県から上京。多くのダンススタジオを見て回るなど、ようやくダンスが“趣味”になった。そして19歳の誕生日を迎える時、知り合いの日本人ダンサーが主催する、ロサンゼルスへのダンスツアーに参加。そこで大きな衝撃を受けた。