目立たないけどモテる奴
自分の情熱を映画ばかりに注いだためか、クラスメイトが受験に力を向け始めても、内村は大学を受ける気持ちにはなれなかった。そんな折に、たまたま見かけた本に載った案内に目が止まった。それが「横浜放送映画専門学院」の紹介だった。講師陣のひとりに『日曜洋画劇場』(テレビ朝日系)で毎週見ている淀川長治が名を連ねているのが決め手だった。
「よし、ここに行こう」
即決だった。
「日本の映画界を変えてやろう」、そんな意気込みで入学したが、学校では内村はいわば落ちこぼれ。
「ちょっと可哀想なぐらいでしたね」と南原は振り返る。「演技の授業では、最初に演出家の先生が役を振るんですよ。Aグループは目立つ感じの奴で……」「内村はBグループの一二番手ぐらいでした(笑)。役も一言言って去るような」(※3)
目立っていたのは南原や、のちに一緒に劇団SHA・LA・LAを立ち上げる入江雅人や出川哲朗だった。内村を学生時代から「チェン」と呼ぶ出川も同様の印象を語っている。
「チェンは学校ではまったく目立たない、正直、華のない男で、芝居でも端役ばかりだった」と。だが、一方で「女のコにはなぜかすごくモテました。『ウッチャン、ウッチャン』って、女のコがよくお弁当作ってきたりして。華はないけど可愛らしいんですね」(※7)
2駅ぶんを走って通学していた内村は、昼休みにもみんなが食事に誘うと、「オレ金ないからいい。走ってる」と言い残し、教室で走っていた。するとそれを見た女生徒が「ウッチャン、可哀想」と翌日お弁当を持ってくるのだ。
のちに勝俣州和は「母性本能をくすぐるというのを常に頭の中で考えている」(※8)と内村を評したが、このころから既にそうだったのかもしれない。
だから出川にとって学生時代の内村の印象は「目立たないけどモテる奴」(※7)だった。
そんな内村が唯一目立ったのが2年次春から始まった漫才の授業。
「とりあえず誰でもいいから、組むように」という講師の指示で、内村が組んだのは女性ふたりとのトリオだった。だが、ほどなくして解消。困った内村の前に現れたのが南原だった。南原は当初、入江雅人とコンビを組んでいた。だが、ともにクラスで1・2を争う人気者同士。両方が目立とうとして上手くいかずあえなく解散。
特別発表会には内海桂子・好江やマセキ芸能社の社長らが見にくるため、参加が義務づけられていた。結局、内村と南原ははぐれ者同士で運命的にコンビを組んだのだった。
「ネタもできてないのに、女子と消えるとは何事だ!」(※3)
発表会の前日、内村は怒りに打ち震えていた。
南原が稽古もせずに女の子と遊びに行ってしまったのだ。怒りをエネルギーにして書き上げたのが「素晴らしきイングリッシュの世界」というコント。漫才の授業だからほかの学生たちは当然漫才をやったが、彼らだけはコントを演じたのだ。
内海好江はそのコントを見て「新しいパターンだ」(※3)と絶賛した。
ウッチャンナンチャンの誕生である。
冬の時代
「もうあっちの人にはなれないんだな」(※9)
内村はプロの芸人として初舞台を踏んだその日、新宿の街を行き交う人々を劇場の階段の上から見下ろしながら、少し後悔した。日曜の夕暮れ、カップルたちは楽しそうに笑い合いながら歩いていた。
何とかして売れなければ。一刻も早く周囲に認めてもらわなければ。
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