こんにちは、雨月メッツェンバウム次郎です。
東京では暑い日があっという間に過ぎ去り、なんだかいつの間にか街ゆく人も空も秋支度を始めました。
先日のこと。病院の医局でとあるアラサー既婚美人MRさん(MRは製薬会社の医療情報担当、簡単に言えば営業の方です)と雑談していまして。
その方がね、「ある女性雑誌を読んでいたら『つなぎ目のない恋愛』を推奨していたんです。先生、どう思われます?」とおっしゃった。
「つなぎ目のない恋」?それはずっと連続して付き合うことだろうか。それとも中継ぎ投手のような「まあ悪い人じゃないんだけどなんかダサいしいまいちなんだよねあの人」と付き合いながら次の本命を探すことだろうか。耳に優しい「つなぎ目のない」なんて言って、相手を翻弄しているような気がしたんです。
恋の終わりはいつも、包丁できゅうりをざくっと切った時のような、完全な連続性の絶たれた切り口のキレイなものの方がいいし正しい。私はそう思っていたからです。そんなことをその美人MRさんに言ったら、
「先生、正しい恋の終わり方なんてあるんですか?」とたたみかけていらした。
そこで今回は「正しい恋の終わり方」なんて野暮なこと、少し考えてみたいのです。
「恋の終わり方」のコインには2つの面があって、オモテは「自分がフる時」で、ウラは「自分がフラれる時」。このどちらかによって、話は変わってくるのだろうか?いいえ。私は、どちらにでも共通する「正しい終わり方」があるのではないかと考えています。
「美しい」でも「楽しい」でもなくあえて「正しい」としたのは、恋の終わりというあまりにも情緒的で感情的なシーンを少しでも冷静に科学したいと思ったから。科学とは再現性を礎としたツールで、どこでだれが同じようにやっても同じ結果になるというもの。こんな時頼りになるのです。
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