10年ほど前、マガジンハウスの雑誌に、累計部数が100万部を超えた芥川賞作のリストが掲載され、興味深いものだった。調べてみると、2007年に休刊した文化情報誌『ダカーポ』の2006年7月19日号「芥川賞・直木賞を徹底的に楽しむ」という特集の中での企画だった。
それによれば1970年代以前で見ると、もっとも読まれた作品は、1964年上半期に芥川賞を受賞した柴田翔『されど われらが日々——』の186万部であった。1960年代の知識人すべてが読んだと言ってよい。
されどわれらが日々― (文春文庫)
1955年、虚無感の漂う時代の中で、出会い、別れ、闘争、裏切り、死を経験しながらも懸命に生きる男女を描き、60~70年代の若者のバイブルとなった青春文学の傑作。
読まれた理由は、芥川賞受賞からわかるように文学作品として優れたこともある。だがそれ以上に、1964年という時代までに青春を終えた人々の歴史経験の意味をこの作品が内包していたからと言ったほうがよいだろう。読み手は自分の青春と人生を、この文学作品で確認することができたのである。
それゆえにこの小説はその後も読み継がれた、と言いたいところだが、もう一つこの作品には読み継がれる構造がある。それは、
後にくわしく述べるが、この作品に描かれる若者たちは、日本が近代化していく明治時代の日本青年にも重なる。それは夏目漱石『こころ』とも同型であり、森鷗外、芥川龍之介などが、「ニル・アドミラリ (Nil admirari)」として語った心性を共有している。付け加えていうならば、前回の書評で述べた、高野悦子の性的疎外の悲劇にも重なり、村上春樹の一群の小説の心性にもつながっている。
この小説は、端的に言えば、男女それぞれの青春の典型的な挫折(自殺の類型)を描いている。しかし、ただ「考古学」的に、過去の類型を眺めるだけではなく、そこから「生」と「性」の意味がどのように救出されるのかという実験記録の様相をしている。そこがその後の時代から、現代にまで問いと重要性を投げかけている。
そこで、しいて単純に、この小説の現代的な意義を二点にまとめるなら次のようになるだろう。
悲観:この物語で描かれた「青春の挫折」は、30年後の1995年にもオウム事件として起きたし、さらに30年後の2025年にも
楽観:悲観の上で、今なお、この世界の意味が「はじめから不在だった」ことに若者世代が向き合って、
半世紀を超えて続く「青春の蹉跌」からの解放
この本が刊行された1964年は、東京オリンピックの年であり、新幹線が開通した年だった。この年を境に東京の風景が変わり、日本全体の風景も変わっていった。
その時代。若い人たちの誰も結婚するものとされていた時代の、青春の終わりの年齢を、仮に初婚年齢として見るなら、女性が24歳ほど、男性が27歳ほど。中を採った26歳で代表させると、彼らが生まれたのは1938年(昭和13年)になる。
終戦が7歳のころ。小学校に入ってしばらくして学校は戦後の新しい体制になった。戦後民主主義の最初の世代である。作者・柴田翔もその世代の範囲に収まる。彼は1935年(昭和10年)生まれである。
この戦後初の世代のうち、新制の高校から大学へと進み、知識人階級に向かっていった若者はどのように青春に向き合い、そして蹉跌(挫折。失敗し行きづまること)したのか。その歴史の感覚をこの小説はタイムカプセルのように保持している。
当時の若者であった作者・柴田翔は、2015年に80歳となる。戦後の第一世代の人生が終局に近い時期に接する時代、戦後初世代の青春とはどのような意味を持っていただろうか。そのことを半世紀を超えて歴史の中で問い返さすことで、なお続く類型的な青春の蹉跌というものの、同型反復からの解放のきっかけが得られるかもしれない。