桜の咲く季節がやって来て、すぐに去ろうとしている。花園シャトーから駅まで行く坂道の、左右の桜も花をつけ、風がひとなぎする度に、崩れるように花びらが舞う。
去年のこの季節は、カラオケ屋の連中と、夜に上野公園に花見に行ったのだっけなあ。シェフが作った料理を弁当に、店のウォッカやらジンやらを瓶のまま持って行って、レジャーシートの上に並べ、その場でカクテルを作って飲んだのだ。その後、近くに住む店長の家で泊まる、ということになったのだけれど、そこでベッドを見たアルバイトの女の一人が僕に耳打ちしてきた。ここで彼女とやってると思うと複雑だね、と、そんな耳打ちをされる僕の方が複雑な気分だった。それから一年後、僕は花見をせず、金を借りに行くために桜の咲く坂を一人で上っている。
見込みが甘かった、というのは僕の場合大体いつもそうなのだが、今回も、状況が差し迫るまでまともに考えようとはしなかった。そして、金がなくなってしまった。
真赤が増えて食費やら交通費やらが二倍になることをあまり深刻に考えていなかった。しかも、ネットの連中とのつき合いが頻繁になり、外食の機会が増えている。真赤と共に、短い間に何度も飲み会に行っている。そうした場合、勿論僕が二人分を支払う。
そう贅沢をしているわけでもないはずだが、もとより収入が一円たりともないのだから、このような生活をしていれば、そりゃ、金というのは自然に降ってくるようなものではないのだし、なくなるわけだ。
それで僕は母親に電話をかけて、どうか当面を凌ぐ金を貸してもらえないだろうかと、金の無心をした。すると、それなら顔を見せに来いと交換条件を出された。思い返してみれば、前に挨拶に来いと言われて以来、結局行っていない。今日真赤はオフ会に出かけるということなので、それなら僕は母を訪ねようと、こうして坂を上っているのである。
本当だったらもう少し早く出かけるところであったが、ちょうど家を出ようとしたその時にT川君と出くわしてしまった。みなの予想通り無事今年の東京大学の入学試験に失敗した彼は、いよいよ四月から入居することが決定している。体を移す前に、いくつかの大きな荷物を運び込んでおこうということで、何やらがちゃがちゃとやり出したところと、運悪く遭遇してしまった。
「いつの間にか女の子が住んでるなんて、びっくりしたなあ」
T川君は、びっくりした、という言葉の割にはあまり感情的な変化のない顔で言った。彼は何につけても表情を変えない。浪人生としての年数がかさむにつれて、徐々に感情が鈍くなり、無表情になっているというもっぱらの評判だが、なるほどこういうことなのか。
今年の試験はどうだったのか。いや、落ちたのは知っているけれども、手応えは良くなっていたのか、来年への希望はあるのか、と僕が率直に尋ねると、
「いやあ、滑り止めも受からなかったよ。去年は合格したのになあ」
そして彼は、ははは、と平たい声で笑った。
浪人して成績が落ちているということは、もう将来的にも絶望的なのではないだろうか。そう思ったが、さすがに口にはしなかった。
そうして荷物の搬入の手伝いをしていると、時間が過ぎていたのである。母親に到着予定時間の訂正をしてから、家を出たのだ。