「彼女は男を知らないはず」という寒々しい願望
「彼女の最大の魅力は、なんと言ってもピュアな処女性でした。ですが、山本との結婚によって、それが失われ、男性ファンの大半が離れていくことになるのは火を見るより明らか。清純派の女優にとっては、結婚が多分に足枷になる」(『週刊新潮』9月3日号・芸能ジャーナリスト平林雄一氏)。突っ込むところが何ヵ所もあるけれど、ひとまずは「ピュアな処女性」とやらに絞りたい。処女性というのはどこまでもいい加減な言葉で、「彼女は男を知らないはず」という身勝手で寒々しい願望を崩さない限りにおいて処女性は維持されていく。いざ裏切られると、「男性ファンの大半が離れていく」らしい。
「スキャンダル処女」と言われる場合も多いが、それはただ「処女性」を投じている側がそれなりの案件を発見できなかっただけである。結婚したらそれが「足枷になる」と断じる姿勢もまた身勝手だが、こうして「処女性」を持ち出す言質をほどいてみると、こちらが恥ずかしくなるほど常に自慰的であることが分かる。この芸能ジャーナリストだけの見解かと思いきや、週刊誌側もイントロ文に「永遠の処女とも言われていただけに、支払う代償は高くつくに違いない」と記し、オジ様たちが慰め合っているようで見苦しい。結婚することを残念がるのではなく、端的に言えば、彼女がセックスをしたことがある、という現実に、真っ正面から動揺しているのである。私は、その動揺に対して真っ正面から動揺する。
「真希だ」「真希です」「真希だよ」「真希ですよ」
6年間も堀北真希を追い続けた山本耕史、連絡先を尋ねても事務所の電話番号を教えられ、手紙を40通送っても返事は一切なく、共演した舞台の千秋楽でラストチャンスとばかりに「せめて俺のを教えさせてください」とお願いし連絡先を渡すと、その夜に「真希だよ」とLINEがあったという。この「だよ」という語尾の力を執拗に考えてみたい。自分より一回り先輩の人に初めて個人的な連絡をとるのだから本来は「真希です」が一般だろう。関係性を考えずに選択肢を羅列すると「【1】真希だ」「【2】真希です」「【3】真希だよ」「【4】真希ですよ」だろうか。関係性からしてあり得ない【1】を除くとして、なぜ彼女は【2】でも【4】でもなく【3】を使ったのだろうか。
終助詞として使われる「よ」は、デジタル大辞泉によれば「判断・主張・感情などを強めて相手に知らせたり、言い聞かせたりする」意味を持つ。『8時だ!全員集合』ではなく『8時だョ!全員集合』なのは、8時であることを強めるためなのだ。堀北の場合においても同様で、「【2】真希です」よりも「よ」を使った【3】【4】のほうが、相手に知らせる判断・主張・感情が強められている。では、なぜ【4】ではなくて【3】なのか。「だ」と「です」はいずれも断定の助動詞である。「だ」の未然形は「だろう」、連用形は「だった」。一方で、「です」の未然形は「でしょう」、連用形は「でした」である。同じ断定だが「です」のほうが圧倒的に柔らかく感じられる。料理番組の『新チューボーですよ!』が『新チューボーだよ!』ではないのは、桃屋の『ごはんですよ!』が『ごはんだよ!』ではないのは、柔らかい印象を残すためだろう。
「奴隷だよ」と「真希だよ」
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