私が「捨てる旅」に出た理由

最長800kmの道のりを、世界中から集まった人々が寝食を共にし歩く“人生の夏休み”の旅。スペイン巡礼の醍醐味をお伝えする新書「人生に疲れたらスペイン巡礼 食べ・飲み・歩く800kmの旅」(光文社新書)から、 この道を3度に渡り歩いた文筆家・小野美由紀さんの体験記を一部お届けします。人生につまずき、お先真っ暗になった小野さんはとある人の言葉で「捨てる旅」である巡礼に惹かれ……?

#1はじまり パリ〜バイヨンヌ

「うわあぁぁぁんびえぇぇぇん、私のiPhoneどぉぉこぉぉおぉぉ?!」

 嵐のような泣き声が、静まり返る寝台列車の中に突如響き渡ったのは、深夜0時を過ぎたころだった。

 揺れる四角い暗闇の中、ぽつりぽつりと灯りがつき、真っ暗な廊下の底を、どうした、どうしたと人の足音が跳ね回る。耳慣れない異国の言語が、気だるげなイントネーションで、事件の勃発を伝えてゆく。部屋から部屋へ。車両から車両へ。足下の車輪は止まることなく、ガラガラガラガラ、不快な音で鳴り続ける。  ここはフランス。パリからバスク地方へと向かう、高速鉄道SNCFの3両目。眠い目をこすり、三段ベッドの一番上から身体を起こしてのぞき込むと、同室の韓国人の女の子が、真っ赤な顔をして泣いていた。 「枕元に置いてた、私のiPhoneがない! 盗まれた!」

 そう、女の子がカタコトの英語で話す。英語の分からないフランス人たちが、顔をしかめてドアからのぞき込んでいる。 突然起こされた我がコンパートメントの乗客たちは、女の子を囲んで困り顔だ。

「ったく、目ぇさめちゃったじゃないの、どうしてくれんのよ」と、ドレッドヘアの黒人女性が、アフリカなまりのフランス語で文句を言う。それをまぁまぁとなだめる、フランス人のおばあさん。

 起きていることがばれないようにこっそりと姿勢を低くしていると、とうとう、車掌が登場した。一人一人、パスポートとバックパックの中身を調べられる。が、出てこない。号泣し続ける韓国人の女の子。全員困り果てる中、車掌が女の子の枕をひっくり返した。

「あるじゃん、携帯電話」

 緊張した雰囲気が、一気にふわっとゆるむ。黒人女性が舌打ちして「ったくイライラするわ」とスラングで吐き捨てる。ひたすらソーリー、ソーリーと謝る女の子。隣、また一つ隣と、「見つかったって」「よかった、よかった」と、さざ波のようにフランス語の伝言とため息が広がってゆく。

 この多国籍な不協和音をまるごと包み、寝台列車は夜を走る。フランスの、質の悪いレールの音を、がたんごとんと響かせて。

 はぁ、私が泣きたいよ……。

 そう思いながら、私は硬くて冷たいビニール製のマットレスに再び身を横たえ、ぎゅっと目を閉じた。

 この、慣れない異国の地に、私は逃げてきたのだ。人生で初めてぶちあたった、でっかい挫折から。

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人生に疲れたらスペイン巡礼

小野美由紀

もしあなたが、人生に疲れ、絶望しているのなら? もしくはお金をなるべくかけずに行ける、刺激的な旅先を探しているのなら? 数日間、もしくは数十日間を、個人的な楽しみのために確保できるなら?……迷わずスペイン版“お遍路”である「カミーノ・...もっと読む

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MiUKi_None 新書の第二章のエッセイの一部を公開しています!旅の始まりは、パリ発の寝台列車でケータイ盗難疑惑(?)のトラブルに巻き込まれたところから。 3年以上前 replyretweetfavorite

MiUKi_None 公開しました!|[今なら無料!]人生に疲れた人は必見!飲み・食べ・歩く800km、スペイン巡礼の旅の魅力とは? 3年以上前 replyretweetfavorite