シナリオ打ち合わせは、最終回に向けてなかなか意見がまとまらないでいた。
とくに脚本家の星山さんのシュオンへの思い入れは強く、
「シュオンにとって今の彼女の原点となったものは、いったい何だろう?」
その日ミーティングの後片付けをしていると、星山さんがオレに言うともなしに言った。ヒロインの内面的なドラマを炙り出すために、彼女のキャラクターを形作っていった原点を見つめてみようということらしい。まさに牛乳瓶の底という表現がぴったりとくる眼鏡の向こうで、細い目に針でつついたような光の粒が宿っている。オレは会議で出したお茶を煎れ直し、黙って星山さんの前に差し出した。オレの役割は、何か直接訊かれた時に答えれば充分だ、そう思うことにした。それに脚本家は、ひとつのことを考えていくうちに、思いもしないところに話がぽんと飛ぶ。その飛躍が、オレには新鮮でもあった。
「そういえば、バンク室、今どうなってる?」
話は、バンク室に飛んだ。星山さんの頭の中では、シュオンの原点という話から離れたわけではない。オレはバンク室とそれが、脚本家の頭の中でどう絡み合っているのか、そのストーリーに引き寄せられた。
バンク室というのは、東京アニメの建物の中でほとんど忘れられた部屋だった。日々の制作に追われる同僚たちが、まず立ち寄ることはない。いくつもの棚が並んでいて、それには歴代のアニメ作品のシナリオ、絵コンテ、原画、動画、それに今はデジタル処理のため使わなくなったセル画や背景画が山のように積まれている。
「時々、窓を開けて風を通すように言われますけど。オレがはじめて案内された時と、まったく変わっていません」
「そりゃぁ変わりようもないだろうね。あの部屋はアニメ制作の原点だもの」
そして、久々に入ってみたいな、つき合ってくれよと言った。牛乳瓶の底の向こうで、鋭い目が微かに笑った。
バンク室は、じつはオレのお気に入りの部屋だった。特別アニメマニアだったわけではないけれど、鼻を突く黴びた匂いが、子供のころ親しんだアニメや見過ごした映像群の残響を手繰り寄せ、真夜中の名画座に座っているようなほっとした気分にさせてくれるのだ。オレは時々その空間に潜り込み、わずかな時間を過ごしていた。
「バンク係っすか?」
部屋に通すと、星山さんは学生だった三十年前、ここでバイトをしていたのだと言った。
「そうだよ、かつてはバンク室専門のスタッフがいてね、ここも制作の心臓部だったんだ。爆発のシーンだとか、ロボットの発進シーンだとか、そういうセルや背景はすべてパターンごとに分けてあってね。進行が、この絵コンテのカットに使える爆発カットありますかね、とか相談に来るわけ。すると、バンク係がさっと出す。ほら、このアングルならうまく繋がるんじゃない、とか言ってね。要は、安い制作予算を埋めるために考え出されたシステムなんだけど」
「なるほど。それで、貸し借りする銀行ってわけですね」
オレは今さらのように呼称の由来を知った。星山さんは、そうだよねぇ、デジタルの時代にずいぶんアナログな話だもんなぁと笑い、懐かしそうに埃の被った棚を見回した。
「東京アニメが買収された時にね、この部屋をどうするかと議題にあがったそうだよ。一掃して、CG部門を充実させようっていう意見が大勢でね。でも、Come.tの福寿さんのひと言で存続が決まったらしい。ここは、アニメの原点じゃないか。根っこを切り捨てれば、地上の樹だって萎んでしまう・・・」
「へぇ、ぜんぜん知らなかったです。星山さん、よくご存知なんすね」
「アニメ村は、狭い世界だからね。今はフリーでライターやったりアニメーターやったりしている連中も、以前はどこかの制作会社で机を並べていたりするんだよ」
そう言って、笑う。だがすぐに、油断できない鋭い視線になった。話がぽんと飛躍するように、この部屋を訊ねたかった理由に舞い戻ったようだった。
「じつは追加の設定を思いついたんだよ」
「はい」
「当局は、ARMANOIDを完璧に管理するために、超能力者のヒトとしての様々な記憶、それぞれの特性みたいなものをすべて外部メモリーに移してしまう。そして当局が必要と判断した時のみ、個々の記憶を逆流させることもできるとする・・・」
「つまり、今までのように、それぞれが闘いに不要な記憶をアンインストールするといったことでは、不十分だったということですね」
「うん。そうすることでARMANOIDは、ロボットの戦闘部隊のように非情に徹することもできれば、またヒトとしての情感が必要な事態にはそれを復活させることも可能となる。ただし、それも科学者たちがそう判断した時のみのことだ・・・」
そしてそれは超能力者たち側からすれば、感情を抱くことさえ科学者たちに委ねてしまうことを意味する。オレはすぐにシュオンが上層部に対し、てめぇら何様のつもりだよ! と猛然と牙を剥く姿が浮かんだ。
「もちろん、シュオンはこの方針に徹底的に反抗する」
星山さんがまるで自分の子供を自慢するように、笑みを浮かべてみせる。
「ひとりで反乱を起こしてさ。これまた徹底的に懲罰部隊にやられちまう」
「そうなりますよね、やっぱし」
不器用なシュオンには悪いけど、笑ってしまう。そしてその可哀想な境遇を演じることになる美島こずえの顔が、フラッシュバックした。「わたし、謝るようなことしてないと思うんです」そう言ってやさぐれた、あの時の彼女が。