朝に片付けてから家を出てきたので、廊下にすら足の踏み場がない、というほどには散らかってはいないものの、かといって花の匂いが似つかわしいような清潔感溢れる家庭といった具合にもいかない。特に僕の部屋などはあまりにも狭すぎて、収納もなく、片付けても見栄えはほとんど変わらなかった。
「ここがミズヤグチさんの部屋?」
と玄関を入ってすぐ左手にあるその部屋の惨状を目の当たりにしつつ真赤は言う。
「うん」
それ以上の感想を言わさぬよう僕は素っ気なく頷きを返し、奥へと彼女を招いた。
リビングルームのローテーブルの上には、朝にはなかったカップ麺の容器が置かれており、その底の方には僅かなスープが冷えて表面に白いものが浮かんでいる。これはタミさんの生活の残滓だ。彼は食べ終わった後にまた眠ってしまったらしく、開きっぱなしのドアの向こう、彼のロフトベッドの上の布団が膨らんでいる。
「タミさんがいるみたいだな」
真赤はそれよりもキッチンの状況に驚いている。そこにはタミさんの使う引き伸ばし機が設置してある。この部屋に訪れた人間はこのおよそキッチンには相応しくない巨大な装置に大抵驚く。
「これじゃあ、料理とかは出来ないじゃない」
「引き伸ばし機の隣にガスコンロが置いてあるのが見えないかな? 使用感があるでしょう。僕たちはあれで肉を炒めたり魚を焼いたりしているのだ」
「機械なんだから、油なんかがはねたら壊れちゃうでしょう」
「カバーがあるから大丈夫じゃないかな。よく知らないけど」
それから真赤は、壁にかかっている振り子の代わりに永谷園の海苔が揺れている時計のことを気にし、そして壁に貼られたポスターのことを気にした。それは薬物濫用をせぬよう訴えるポスターで、地球をマスコット化したキャラクターに『ダメ。ゼッタイ。』というコピーが添えられたありがちな図案である。バイト先で余っていたのを失敬し、ここに貼ったのであった。向精神薬を濫用している我々に対する矛盾と、その一方で違法とされている薬物には手を出さぬぞという戒めをかけた、僕なりの高度なユーモアがあったのだが、説明が面倒だったので、
「どうしてこんなものを?」
と訊ねる真赤に
「そりゃ、薬物の濫用は青少年にとって悪いものだからに決まってるじゃないか」
そう簡単な返事で済ませたのだが、
「頭のおかしい人の家みたい」
そこで彼女は堪えきれなくなって、くすくすと笑った。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。