進化するボーイズラブの愉しみ

BLは「愛」によって進化してきた—vol.1

BLと女性のセクシュアリティーズを研究している溝口彰子さんの著書『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』が発売されました。これを記念して、下北沢のB&Bで、溝口さんと、大のBL好きで知られる作家の三浦しをんさんの対談イベントが行われました。読んできたBLは数知れず、膨大な知識とBL愛をお持ちのお二人が語る「文化としてのBL」トークを、cakesでも特別掲載。初回はBLの歴史と、読者がBLを読んで快楽を感じる仕組みについてお話いただきました。

16年の集大成、ついに刊行

— 本日は溝口彰子さんの『BL進化論』刊行を記念して、溝口さんと三浦しをんさんにお集まりいただきました。

BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす
BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす

三浦しをん(以下、三浦) 今日はBLのことをたくさん話せると思って、とっておきのTシャツを着てきました。

溝口彰子(以下、溝口) えーと……何て書いてあるんですか?

三浦 「I LOVE BL」です。

一同 (爆笑)

三浦 友人からもらったんですが、原宿だかのお店で売っていたものだそうで、書いてある「BL」っていうのは、たぶん間違いなく、「ボーイズラブ」ではない言葉の略称なんですよ。作った人はボーイズラブのことを知らないと思う(笑)。仲間内でBL読書会をするときは、必ずこれを着用しています。

溝口 三浦さんがBLがお好き、というのは知られていますが、こういうイベントではあまりBLの話されないですもんね。今日は『BL進化論』の内容にかぎらず、いろいろお話できればと思います。

三浦 よろしくお願いします。『BL進化論』は、本当に読み応えのあるご本でした。私が溝口さんの文章に初めてふれたのは、雑誌「クィア・ジャパンvol.2 変態するサラリーマン特集」においてですが、あれは2000年の刊行でしたね。今回のご著書には、何年分の論考を収録しているんでしょう。

溝口 1998年末のものから入っていますね。BL的なものはその前から好きで。というのも、もともと、私自身のセクシュアリティがレズビアンなので、たとえば、『摩利と新吾』の摩利の新吾に対してのリアルな気持ちの描写などに、思春期のころすごく助けられていたんですよね。1970年代から80年代ごろです。
 世間ではいくらスキャンダルだったりちょっと冗談っぽく扱われたりしていても、摩利が新吾のことを好きな気持ちと私が同性を好きな気持ちが悪いものであるはずがない、と思えたんです。そして1998年秋頃から、研究活動と愛好家活動を並行して商業BLを読み始めるようになりました。

摩利と新吾―ヴェッテンベルク・バンカランゲン (第1巻) (白泉社文庫)
摩利と新吾―ヴェッテンベルク・バンカランゲン (第1巻) (白泉社文庫)

「俺はホモなんかじゃない!」問題

三浦 ということは、まさにこの本は溝口さんの活動の、現時点での集大成ですね。BLの本質的な作品論としても読めるだけでなく、時代ごとに、BL表現にまつわるどのような言論があったのか、というところもきちんと書かれている。

溝口 時代ごとの違いはおもしろいですね。90年代は「俺はホモなんかじゃない!」「男だからじゃなくて、お前だから好きなんだ」という作品が多かったんだけど、2000年代に入ると全然変わってきていて。

三浦 そうですね。以前は、出会い頭に拉致監禁&レイプしておきながら、「俺はホモなんかじゃない!」「男だからじゃなくて、お前だから好きなんだ」と攻がほざく作品が散見されたのですよ……。

会場 (笑)。

溝口 レイプされた側が、最初は反発しているんだけど、やがて「俺は彼に愛されている。彼は男だからとかじゃなく、俺だから好きなんだ(だからレイプに及んだんだ)」と気づいて、両思いに……というものですね。でも、いつのまにかそうしたBLよりも、もっと現実的というか、むしろ現実の同性愛者の状況をリードして生きていくようなBLが増えてきたんですよね。

三浦 「現実的」とは、具体的に言うとどういうことでしょうか。

溝口 主人公が、男と恋愛している自分はゲイなんだという自覚をもって、さらには周囲にカミングアウトするシーンが描かれたりとか。それも、「それって同性愛ってこと? 初めて会った」「びっくりしたけど、まあそういうのもあるかもね」と、実際にありえそうな反応をまわりの人がしたりだとか。
 そういう傾向は、やはりよしながふみさんの作品だけ、90年代の時点で突出していたんですけど、2000年代になるとどんどん増えていって。私が一番びっくりしたのは、90年代からずっと連載されているシリーズ作品まで、ゲイ・フレンドリーな方向に変わっていったことです。「富士見二丁目交響楽団」シリーズ(秋月こお)って、まさに出会い頭のレイプからはじまったじゃないですか。

虹を渡るコラール 富士見二丁目交響楽団シリーズ外伝 (角川ルビー文庫)
虹を渡るコラール 富士見二丁目交響楽団シリーズ外伝 (角川ルビー文庫)

三浦 ああ! ご本でも書かれていましたね。私ずっと、あの作品の「攻」は性犯罪者じゃないか、とモヤモヤしてたんですよ(笑)。でも、たしかにフジミでのゲイの描き方は変わっていきましたね。

溝口 そうそう。クラシックの演奏者の話なので、ストーリーが進むにつれて海外に出て行く場面が増えてきたことも一因だとは思うんですが。メインキャラ以外にもゲイのキャラクターが出てきたし。で、後半では、メインキャラが所属オーケストラの上司にゲイだと知られたら解雇されるんじゃないかと同僚が忠告する場面があるのですが、その辺りで「公共放送がゲイバッシングなどやったら、民放各局の格好な槍玉に挙げられて、そちらのほうで大騒ぎになる」という記述があるんですよ。

三浦 つまり、現実社会の変化を敏感に取り入れ、作中の社会も、「同性愛者のセクシュアリティを否定・揶揄することが認められないのが当たり前になっている社会」として描かれるようになったということですよね。

BLは「女たちのまぐわい」でもある

溝口 そうなんです。誰かが申し合わせているわけではなく、それぞれの作家さん達が自発的に自分のクリエイトしたキャラクター達のことを真剣に誠実に考えていくなかで、キャラクターたちと周囲の折り合い方について、すごく綿密に描くようになっていったんだと思います。しかも、世界的なセクシュアル・マイノリティの情報なども取り入れたうえで。それにすごくびっくりしたし、喜ばしく感じて、今回の本では「第四章 BL進化形」にまとめました。「なんでそんなことになったのか」という考察は「第五章 BLを読む/生きる」で書いたんですが、ここでも軽くお話すると、BLのキャラクターは男性キャラクターだけども、そこにかかわる女性達同士のコミュニティ内のコミュニケーションによって生まれた分身でもあるんですよね。

三浦 本のなかでは、「(女性同士の)脳内のまぐわい」と書いていらっしゃいましたね。

溝口 BLは「消費者のニーズに合わせて商品を提供するというよりも、作り手も愛好家として脳内のまぐわいに参加するジャンル」であるといったことを書きました。BLの愛好家たちは、ともにBL好きだとわかると、そこからお互いの嗜好を開示していき、その交歓をより深めていくという特徴があるんですよね。
 そして、その交歓は書き手と読み手の間でも行われ、その脳内の「まぐわい」の快楽が作家によって消化吸収され、今度はキャラクターたちの恋愛に反映される。つまりBLというのは男同士の恋愛を描いているようにみえて、同時並行で女同士の「まぐわい」を生んでいるんだ、と私は思っています。だからこそ登場するキャラクターたちは腐女子たちにとって「(異性の)他者」であるだけではなく、彼女たちの分身であり「自身」となる。

三浦 拝読していて、本当に「なるほど」の連続でした。BLの登場人物は、たしかに「分身」でもあり、もっと言えば「こうありたい自分像」でもある。だからこそ、近年のBLには、異性愛規範だけでなく、ミソジニー(女性嫌悪)を乗り越えるような、素晴らしい作品が多いということですよね。もちろん全部のBLがそうというわけではなく、いい意味でも悪い意味でも、いろいろな傾向の作品があるのが、BLの幅広く奥深いところでもありますが。
 それって、本来、男女の恋愛を描く少女漫画でもやろうと思えばできることなんだと思うのですが、今の少女漫画作品をながめていると、BLほどには、「現実社会の現状や常識を打破する意志」はないのかもしれないなと感じます。BLは少女漫画がなければ絶対に出てこなかったジャンルだし、語り方や物語の骨子も似ているとは思っているんですけど。まあ、少女漫画って、いろいろなタイプの男性を描けないですからね。少女漫画のヒロインの相手役がヤクザってことはあまりない(笑)。となると当然、「反社会的な男性と恋に落ちそうになったとき、ひとはどう感じ、どう行動するのか」は描けないということになる。

溝口 少女漫画には、ヤクザの若頭は出てこないんですか?

三浦 皆無ではないと思いますが、ごっついヤクザは出てこないですね。「でも私はごっついヤクザとの恋愛が読みたい!」という少女だっていると思うんですけど。いないか(笑)。とにかく、少女漫画では需要が満たされないと感じる人たちのなかで、だからBLを読み始めたという人はけっこういるんじゃないかな。BLは登場人物のキャラクター、年齢、職業、外見などが多種多様で、「こうだったらどうだろう?」「ああだったらどうだろう?」と、無数の順列組み合わせがあるというか、ありとあらゆる人間関係にまつわる思考ゲームが可能なんですよね。

「息子がゲイだったら?」と考えられる柔軟さ

溝口 BLでは、女性キャラクターがメインのところから駆逐されてしまっているんですけど、実は男女の関係のアナロジーになっているのがポイントですよね。男たちが男たち同士で恋愛する過程を描き、「受」という、女ではない「女役」をどう扱い、そして「受」がとう振る舞うべきかを毎日読み書きするなかで、女性性が相対化され、客観的に問題視され、BL愛好家が異性愛規範から抜け出すきっかけとなる。
 それは自分が現実世界で抑圧されがちな「女性」であることから逃避している快楽なんだと、私は思います。「逃避」と言うと無責任に聞こえて、いわゆるフェミニズムの正反対のようですが、逃避しているからこそ逃避した先でやっていることが一周回って戻ってきて、既存の女性性からの脱却につながっているのがBLの画期性だと思います。

三浦 なるほど。BLの読書体験あるいは創作体験が、現実を生きる自分にフィードバックされ、社会に対して女である自分がどうしたいか、社会にどうなってほしいかということがより見えてくるということですね。私、たまに息子がゲイだったら、娘がレズビアンだったら、自分どうするかなって考える事があるんですよ。

溝口 確認すると、三浦さんには現在は、娘とか息子はいないんですよね?

三浦 もちろん。

会場 (笑)。

三浦 今後もたぶんいないですけど、それでもBLを読んでいると考える時があるんですよ。実際に自分がその立場になったとき、どう感じるだろうかと、いろいろ想像してみる。というのも、私のまわりのBL好きの女の人たちが最近出産ラッシュを迎えていて。生まれたての息子を見ながら「ゲイかもしれないなー」って微笑んでいて。私も「そうだねー」と好ましく赤ちゃんとお母さんをながめる(笑)。それは腐女子として、「ゲイの息子の生活を覗き見ることができたらウハウハだ」ということでは決してないんですよ。明るく言ってはいるけど、彼女は今までずっとBLを好きで、たくさん読んでくるなかで、「ゲイとして生きる」ということを想像し、登場人物たちと一緒にその人生をちょっと味わった気持ちになった結果、「そういうこともあるだろうし、あっていい」と肯定できているんだろうなと。

溝口 それは素敵なことですね。

三浦 小さいかもしれないけどちょっとずつの変化が、現実にも確実に起きていて、それがBLにも反映しているし、逆にBLから影響を受けたものが現実にも反映しているんじゃないかなと、『BL進化論』を拝読して改めて思いました。


いま、BLに何が起きているのか?
女性たちを虜にする快楽装置=BLの歴史と本質に迫る画期的評論!

BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす
BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす

この連載について

進化するボーイズラブの愉しみ

三浦しをん /溝口彰子

BLと女性のセクシュアリティーズを研究している溝口彰子さんの著書『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』が発売されました。これを記念して、下北沢のB&Bで、溝口さんと、大のBL好きで知られる作家の三浦しをんさんの対談イベントが行われ...もっと読む

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yuh_yuzu @machi_2925 @Sasakinoki2236 @aki_hira_yoi @mandarin0808 BLについて話してる対談とかありますよー https://t.co/Bjx9GBNnU2 6ヶ月前 replyretweetfavorite

hairi_tachibana @toriaezu_ponshu 正月は読●新聞の旗を振って沿道のモブになってきます。 原作者様を検索したら、色々凄いものが出てきた。 アドバンストな貴腐人だったのですね。 不勉強でした。 https://t.co/EunmUjE9KP 7ヶ月前 replyretweetfavorite

ayu_walk2525 @una2525 昔、売り出してる頃の風が強く吹いているっての読んで、この作家さんこれBLのつもりで書いてるだろってすごい思った記憶ある。 って、思ったら https://t.co/WaSML23SFO 「大のBL好きで知られる作家の三浦しをんさんの対談イベント」 当たってた 2年以上前 replyretweetfavorite

sacae1018 https://t.co/r1tMzSESQM BL進化論、あらゆるひとにとって自由で居心地のいい社会のあり方を追究。 とても深いです。 #BL進化論 #LGBT #BL漫画 https://t.co/ezTU7KFD1i 2年以上前 replyretweetfavorite