第128回 コインを10回投げたとき(後編)

「び、微分? 微分が出てくるんですか?」とテトラちゃんは言った。
登場人物紹介
:数学が好きな高校生。
テトラちゃんの後輩。好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。
ミルカさん:数学が好きな高校生。のクラスメート。長い黒髪の《饒舌才媛》。
$ \newcommand{\HIRANO}{\unicode[sans-serif,STIXGeneral]{x306E}} % HIRAGANA LETTER NO (U+306E) $

高校の図書室

第127回からの続き)

テトラちゃんは《コインを$10$回投げるときに表が出る回数》について計算していた。

「電卓を使えば、もっと正確に求められるけどね。ともかく$\sigma = \sqrt{2.5}$はわかった」

解答(1)(2)
コインを$10$回投げたとする。
(1)このとき、表が出る回数の平均$\mu$は、
$$ \mu = 5 $$ である。
(2)また、このとき、表が出る回数の標準偏差$\sigma$は、 $$ \sigma = \sqrt{2.5} $$ である。
$$ 1.5 < \sigma < 1.6 $$

テトラ「求まりました……」

「けっこう大変だったね。でも$10$回だったら、手計算でも定義からいけるんだね」

テトラ「もっと多かったら電卓かコンピュータが必要です」

「いや、定義から求めるのはそうだけど、もっと一般化しておけば……」

ミルカさん

ミルカ「何を一般化?」

テトラ「あ、ミルカさん! 今日は《コインを$10$回投げたら、表が何回出るか》という問題を考えていたんです」

ミルカ「$0$回以上、$10$回以下」

「うん、さっき、そういう話をしてたんだ」

がそう言うと、ミルカさんは少しむっとした顔をする。

テトラ「そこから、平均$\mu$と分散$\sigma^2$を計算していたんです。$10$回までなら実際に手計算でもできるんですね」

ミルカ「手計算? 暗算ではなく?」

「暗算って?」

ミルカ「フェアなコインを$n$回投げたときに表が出る回数の期待値は$\frac{n}{2}$だろう? 回数を$2$で割ればいい」

「もちろん、二項分布の公式を使えばそうだけど、具体的に計算した場合の話だよ、手計算というのは」

ミルカ「どんな計算?」

ミルカさんはそう言ってテトラちゃんの書いたノートをのぞきこむ。

「こんな計算」

ミルカ「ふうん……」

「パスカルの三角形を思い出せば、$2$の冪乗に帰着できる」

ミルカ「《和の期待値は、期待値の和》を使わない理由は何?」

「和の期待値は……」

テトラ「き、期待値の和?」

ミルカ「そう。コインを$1$回投げるとき表が出る回数の期待値は$\frac12$だ。$10$回投げるなら《和の期待値》を求めたいわけだから、 期待値をすべて加えて《期待値の和》を計算すればいい。 つまり、 $$ \underbrace{\frac12 + \frac12 + \cdots + \frac12}_{\text{$10$個}} = \frac{10}{2} = 5 $$ になる。何も難しくない。期待値の線型性」

テトラ「……簡単ですね」

「あれ……それでいいの?」

ミルカ「説明を簡略化したが、正しい。《確率変数の和》の期待値を求めたいとき、 《確率変数の期待値》を求めて和を取る」

テトラ「確率変数って何ですか」

ミルカ「いま《コインを投げる》ときに《コインが表になる回数》が話題になっていた。《コインを投げる》のような行為のことを試行と呼ぶ。 そして、試行が行われたときに起きるできごとのことをイベントと呼ぶ」

「イベント……事象のことだね」

ミルカ「試行が行われたときに値が定まる変数のことを確率変数という。より正確には、確率変数とは《イベント全体の集合から実数への関数》だ」

テトラ「確率変数は、変数なのに関数なのですか……ややこしいですね」

ミルカ「コインを$1$枚だけ投げるという試行を考えよう。$1$枚のコイン投げの場合、 《表が出る》というイベントと、《裏が出る》というイベントの二つがある。 《表が出る回数》という確率変数を$X$とすると、 $$ \left\{\begin{array}{llll} X(\text{表}) & = 1 \\ X(\text{裏}) & = 0 \\ \end{array}\right. $$ ということになる」

テトラ「はい、わかります」

ミルカ「そして、確率変数が取る平均的な値のことを期待値という」

テトラ「それは、確率変数……の値がいくらになると期待できるか、という意味ですよね?」

ミルカ「そう考えていい」

テトラ「それは、具体的な値に、確率の重みを付けて加えればいいんですよね」

ミルカ「そうなる。確率変数$X$が$0$になる確率を$P_0$と書き、$X$が$1$になる確率を$P_1$と書くことにする。 このとき、確率変数$X$の期待値$E(X)$は次のようにして計算できる」

$$ \begin{align*} E(X) &= 0P_0 + 1P_1 && \text{確率変数$\HIRANO$値に確率$\HIRANO$重みを付けて総和を取る} \\ &= 0\cdot\frac12 + 1\cdot\frac12 && \text{$P_0 = P_1 = \frac12$だから} \\ &= \frac12 \end{align*} $$

ミルカ「もしも、表が出る確率を$p$とすれば、裏が出る確率は$1-p$なので、期待値はこうなる」

$$ \begin{align*} E(X) &= 0P_0 + 1P_1 \\ &= 0(1-p) + 1p && \text{$P_0 = 1-p, P_1 = p$だから} \\ &= p \end{align*} $$

「まあ、当然というか、当たり前だよね。でも、さっきの話なんだけど、$1$回目に表が出る回数を表す確率変数と、 $2$回目に表が出る回数を表す確率変数と、$3$回目……を加えていいのかな。 期待値の線型性は知っているけど、それぞれ、別の試行だよね」

ミルカ「それは確率空間をどうするかによる。ふむ……ともかく、ここまででコインを$1$回投げることを考えた。 コインを$10$回投げることはどう考えるか。 一つのイベントがこんな形をしていると考えるのがいい。 $$ \langle 0,1,1,0,0,1,1,1,0,0 \rangle $$ 裏を$0$とし、表を$1$で表して、それを$10$個並べた。 $1$回目から$10$回目までの表裏をまとめて一つのイベントとして考える」

「つまり$\langle 0,1,1,0,0,1,1,1,0,0 \rangle$というのは、コインが、$$ \text{裏、表、表、裏、裏、表、表、表、裏、裏} $$ の順番で出たという場合のこと? 試行をまとめるんだ」

ミルカ「というか、$10$回投げることを一つの試行と考える。すると、イベント全体の集合$\Omega$は、こんな形になる」

$$ \begin{align*} \Omega & = \{ \\ & \qquad \langle 0,0,0,0,0,0,0,0,0,0 \rangle, \\ & \qquad \langle 0,0,0,0,0,0,0,0,0,1 \rangle, \\ & \qquad \langle 0,0,0,0,0,0,0,0,1,0 \rangle, \\ & \qquad \langle 0,0,0,0,0,0,0,0,1,1 \rangle, \\ & \qquad \langle 0,0,0,0,0,0,0,1,0,0 \rangle, \\ & \qquad \quad \vdots \\ & \qquad \langle 1,1,1,1,1,1,1,1,1,1 \rangle \\ & \} \\ \end{align*} $$

テトラ「……」

ミルカ「テトラは話についてきている?」

テトラ「はい、大丈夫です。ぜんぶで$2^{10}$個のeventがあるということですね」

ミルカ「それでいい」

「ここから何が起きるんだろう?」

ミルカ「君が計算しようとしていたのは、《表が出る回数》という確率変数の期待値だった(第127回参照)。 その確率変数を$X$として、列挙するなら、 $$ \begin{align*} X(\langle 0,0,0,0,0,0,0,0,0,0 \rangle) &= 0 \\ X(\langle 0,0,0,0,0,0,0,0,0,1 \rangle) &= 1 \\ X(\langle 0,0,0,0,0,0,0,0,1,0 \rangle) &= 1 \\ X(\langle 0,0,0,0,0,0,0,0,1,1 \rangle) &= 2 \\ &\vdots \\ X(\langle 0,1,1,0,0,1,1,1,0,0 \rangle) &= 5 \\ X(\langle 0,1,1,0,0,1,1,1,0,1 \rangle) &= 6 \\ X(\langle 0,1,1,0,0,1,1,1,1,0 \rangle) &= 6 \\ X(\langle 0,1,1,0,0,1,1,1,1,1 \rangle) &= 7 \\ &\vdots \\ X(\langle 1,1,1,1,1,1,1,1,1,1 \rangle) &= 10 \\ \end{align*} $$ のようになる。各イベントの$1$の個数を加えている。そうだろう?」

「言われてみればそうだね。そして、$X$の期待値$E(X)$を求める……」

ミルカ「そう、君は期待値の定義から直接求めた。$k$に《$X = k$となる確率》に掛けて、 $k = 0,1,\ldots,10$の総和を求めたことになる。二項定理を駆使して。 ユーリなら『お兄ちゃんは、数式マニアだからにゃ!』と言うところだ」

「いや、ユーリのものまねなんてしなくていいから。期待値の定義を使った僕の解答は正しいんだよね」

ミルカ「もちろん、正しい。期待値の定義通り」

$$ E(X) = \sum_{k=0}^{10} kP_k $$

「でも、ミルカさんがやったことは違う?」

ミルカ「違う。同じ$\Omega$に対して、確率変数$X_j$を考える。$X_j$は、 コイン投げ$j$回目で表が出たら$1$で、 裏が出たら$0$になる確率変数だ」

$$ \begin{align*} X_1 &= \text{《コイン投げ$1$回目で表が出たら$1$、裏が出たら$0$》} \\ X_2 &= \text{《コイン投げ$2$回目で表が出たら$1$、裏が出たら$0$》} \\ X_3 &= \text{《コイン投げ$3$回目で表が出たら$1$、裏が出たら$0$》} \\ &\vdots \\ X_{10} &= \text{《コイン投げ$10$回目で表が出たら$1$、裏が出たら$0$》} \\ \end{align*} $$

テトラ「え、えっと……」

ミルカ「たとえば、$X_9$を具体的に書くとこうだ」

$$ \begin{align*} X_9(\langle 0,0,0,0,0,0,0,0,\underline0,0 \rangle) &= 0 \\ X_9(\langle 0,0,0,0,0,0,0,0,\underline0,1 \rangle) &= 0 \\ X_9(\langle 0,0,0,0,0,0,0,0,\underline1,0 \rangle) &= 1 \\ X_9(\langle 0,0,0,0,0,0,0,0,\underline1,1 \rangle) &= 1 \\ &\vdots \\ X_9(\langle 0,1,1,0,0,1,1,1,\underline0,0 \rangle) &= 0 \\ X_9(\langle 0,1,1,0,0,1,1,1,\underline0,1 \rangle) &= 0 \\ X_9(\langle 0,1,1,0,0,1,1,1,\underline1,0 \rangle) &= 1 \\ X_9(\langle 0,1,1,0,0,1,1,1,\underline1,1 \rangle) &= 1 \\ &\vdots \\ X_9(\langle 1,1,1,1,1,1,1,1,\underline1,1 \rangle) &= 1 \\ \end{align*} $$

テトラ「あ、そういうことですね。わかりました」

ミルカ「ここから、明らかに次の式が成り立つことがわかる」

$$ X = X_1 + X_2 + \cdots + X_{10} $$

「なるほど、それはそうだね。確率変数$X$は《表の個数》だから、 $j$枚目が表が出るかどうかを表した$X_j$をすべて加えたものになるのか」

ミルカ「あとは期待値の線型性から《和の期待値は、期待値の和》を使えばいい」

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数学ガールの秘密ノート

結城浩

数学青春物語「数学ガール」の中高生たちが数学トークをする楽しい読み物です。中学生や高校生の数学を題材に、 数学のおもしろさと学ぶよろこびを味わいましょう。本シリーズはすでに12巻も書籍化されている大人気連載です。 (毎週金曜日更新)

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コメント

GVCUUCHV_14 |結城浩 @hyuki |数学ガールの秘密ノート ようやく 2^7 だ。 https://t.co/pHthiN0oaL 4年弱前 replyretweetfavorite

69_junon 最近読んでなかったけどやさしい統計の発売ということで読んでみたらめちゃめちゃ面白いな。。。 4年弱前 replyretweetfavorite

chibio6 難しかった(›_‹)。 数学ガールも見ながら母艦数についてじっくり考えよう。 約5年前 replyretweetfavorite

kojikoba1997 なんか久々に受験に関係ない数学に触れた気がする。乱暴に見える計算は無限が絡んでくるってことかな? 約5年前 replyretweetfavorite