ダイニングの片隅にあるドアは外観こそ洋式のクローゼット風だが、中身は上下二段の押し入れになっている。下の段には掃除機や使っていない季節家電などが乱雑に突っ込まれ、上の段にはタミさんがセッティングしたLinuxのサーバーが設置され、そこから幾本も延びたLANケーブルが、この部屋のみならず、隣の107号室までベランダを伝って張り巡らされており、それぞれの部屋にネット環境を提供している。これがなくては僕らの電脳生活は一日も立ちゆかず、この部屋にやって来て、まず最初にやったのもこの配線だった。
僕らはお互いのコミュニケーションの大部分をこのネットワークシステムに依存している。たとえばこの押し入れのサーバーにはローカルネットワークからのみアクセス出来る電子掲示板が設置され、その月の光熱費を書き込んだり、トイレの切れた電球を交換したとその価格を報告したり、主に共益のための経費についてのやりとりがなされていた。
これを月末にタミさんが集計し、家賃を加えて、みなの分担額を発表するのが毎月のならいとなっている。僕は金銭に関しては最終的な数字以外はさほど関心がなかったのだけれども、たまに冷蔵庫に入っているプリンはお土産だからみなで食べて良い、だとか、駅前のラーメン屋が実に旨かったからおすすめである、などというような僕にとっても有用な書き込みがなされることもあるので、毎日チェックしている。
真赤と会って帰って来ると、すでに日が落ちて、普通の家庭ならもう夕食が終わっているような時刻だった。
彼女がしばらくここで暮らすということを、タミさんに話しておきたかったのだけれどもまだ帰っていない。明日は月曜だが、僕らには曜日というようなものはあってないようなものだから、いつ帰るとも知れぬ、あるいは今日帰るとも限らないわけで、電話をしようかとも思ったが、恋人と一緒かもしれないと結局自重していた。
まあ、いつまでも帰って来ないということもないし、僕が勝手に真赤を呼んだところで、しょっちゅう恋人を家に泊めている彼は反対をしないだろう。いや、しかし、たまに連れて来るのと、住まわせるのとでは事情が違うのか? まあいいや、いずれにしたって反対されることはない。彼も真赤の事情は知っているのだし。
だから、安心して眠ってしまうべきなのだろうけれど、気持ちが昂ぶってとても眠れるような状態ではない。それはいつもの気怠い不眠ではなく、活力に満ちて身体が休もうとしてくれない、むしろ心地良くさえある不眠なのであった。不思議なものである。
しかし、いくら心身が充実していてもこんな夜中にそれを生かす術はない。だから漫然と、インターネットであれこれとサイトを閲覧して時間を潰し、そしてそれもやり尽くすとその家庭内掲示板のログを読むことにしたのだ。逆野が灯油を買ったとか、タミさんが水道代を支払ったとか書いてあるその後、ちょうど今日書かれたらしい最新のところに、U君の書き込みがあった。
どうも、彼はこの共同生活における部屋の散らかりや、無秩序な生活が腹に据えかねているようだ。だから、規範のようなものを作ったらしい。106号室のホワイトボードに告示しておいたから見て欲しいと、そう書いてある。
住み始めてもう数ヶ月が経つというのに、何やら面倒なことを言い出したものだ。
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