「さっき、みのもんたが紹介してた本はどこ?」
10年ほど前、出版社で働き始めたとき、研修の一環として数週間の書店勤務を体験した。棚や平台の整理からレジ打ちまでこなすなかで、最も対応が難しかったのが、本を探すお客さんからの問い合わせである。夕方前にやって来たオバ様が言う。「さっき、みのもんたが紹介してた本はどこ?」。その「さっき」も店内にいたので即答できるはずがない。困った顔を社員さんに向けると、澄まし顔の奥に少々ドヤ顔を含ませたような顔で、書名を即答している。後で聞けば、主婦層が多くやって来る書店では「今日、みのさんが番組で取り上げた本」対策をするのは当然、とのこと。『おもいッきりテレビ』は終わってしまったが、みの対策がマストだった事実は、テレビの影響力を考える時に、いっつも脳裏に蘇る。
「和田アキ子のオピニオン」という難題
今、日曜日の午前中にテレビをつけると、以前にも増して社会時事に対して雑多な意見が飛び交うようになっており、ザッピングしながらこの一週間の出来事をどのように振り返っているかを観測する。8時台は色合いが明確に分かれる。中山秀征が公論をなぞるだけなのが歯がゆいが、その歯がゆさを感知しているのはテレビの前の自分だけではないかとも思わせる彼の王道感が確かに番組を健やかに支配している『シューイチ』。見解的には共感することが多いものの、チャンネルを合わせた瞬間の色彩感の乏しさが町内会の寄り合いのような『サンデーモーニング』。毎週、ゲスト論客を切り替えては、偉い人と鋭い人とただの偉そうな人を混在させている『新報道2001』。
それなりに丁寧な考察が並んだ番組の後に、10時から『サンデー・ジャポン』と『ワイドナショー』という、雑多なニュースを本音ベースで咀嚼してみる働きかけが並ぶ。昨年春から現在の枠で放送されるようになった『ワイドナショー』での議論は、松本人志の発言を中心に、しょっちゅうネットニュースに取り上げられるようになった。これによって私たちが受けている恩恵があるとするならば、12時前からの『アッコにおまかせ!』で和田アキ子が何を発したかがニュースとして取り上げられるケースが低減したことである。彼女自身、私に「おまかせ!」というスタンスに自信を持ち、NewsをPickしてSmartなNewsとして伝えているつもりだから、なぜだかネットと親和性が高く、歯止めが利かなかった。それをその前の時間帯に放送される松本人志が拮抗することではね除ける構図が生まれた。つまり、アッコのオピニオンと向き合う前に、こっちが満ち足りてしまうのである。