電気サーカス 第39回

テレホーダイでネット接続していた時代。『テキストサイト』をはじめた“僕”は、知り合いが主催のイベントに顔を出したり、向精神薬を入手するため通院したりと自由な毎日を謳歌中。アルバイトも辞めることにしたが、常連客がやって来て……。

 どうして僕が極道の妻と酒を酌み交わさなくてはならないのか? 普段だったら生け贄は店長が一人で引き受けるはずなのに。客はどうも冗談で言っている様子でもなく、だとすれば立場の弱いアルバイトとしてはむげに断ることも出来ない。しかし僕はいやだった。早く家に帰って酒を飲んだり真赤と電話をしたりしたかった。
「はあ、それは有り難いですが……」
 と曖昧に追従笑いを浮かべて態度を誤魔化していると、東急ハンズから帰ってきた店長が現れる。
「どうも、今日もご来店、ありがとうございます!」
 彼は部屋に入るなり、満面の営業スマイルと共に声を張った。
「ねえ、この子たち、仕事が終わった後ほんのちょっとだけつきあってもらってもいいかしら? 夕食まだでしょうし、シェフの美味しい料理を一緒に食べて欲しいわ」
 ここで店長が巧言を弄して話題をそらしてくれることを期待したのだが、彼は僕らの味方ではなかった。
「よし、しのぴー、中番が来たらそこで仕事は切り上げて、タナカちゃんと一緒にご馳走になっていきなよ」
「まあ、嬉しいわ。でも悪いわねえ」
「いえいえ、どうってことありませんよ。こんな有り難い機会、なかなかないんですから」
 そこには僕らの意志は介在しないらしい。フロントに戻ってタナカさんに伝えると、客の素性を知らない彼は夕食代が浮くことを無邪気に喜んでいる。
 間もなく中番の二人が出勤して、僕たちは彼らに仕事を引き継ぎ、私服に着替え、201号室で店長と共に常連客の歓待にあたることとなった。部屋に入ると既に机の上にはチーズやら生野菜やら生ハムやらの盛り合わせが乗っていたが、客は僕らのために腹にたまるものをということでパスタを追加注文してくれる。おまけに生ビールまでつけて、しかもいくらでもおかわりをして良いというのだから、僕は恐縮してしまう。一方タナカさんは見たことのない笑顔ではしゃいでいる。彼の酒癖は良いのだろうか? 万一のことを思い、客の素性を伝えておかなかったことをかすかに後悔したけれど、もはや如何ともしがたい。
「美味しいでしょう? ホテルで修業を積んだだけあるわよね」
 パスタを食べる僕たちに、酔いで頬を染めた客はそう訊ねたので、頷きを返す。確かに旨いとは思うが、毎日まかないでシェフの手料理を食べており、このパスタも定番メニューなので、正直なところ驚くほどのことはない。
「年は何歳?」「彼女はいるの?」「出身地はどこ?」
 と矢継ぎ早に繰り返される質問に、僕とタナカさんは食べながら答えた。
 これはいつまで続くのだろうかなあ。このパスタを食べ終わったら、用事があるので帰りたいって言おうかしら。いや、それじゃあまりにも見え透いている。
 切り出すタイミングが見つからないが、かといって、店長の助け船は期待出来ない。そしてこの場面の唯一の味方であるタナカさんはどうするつもりだろうとその表情を伺うと、たった一杯のビールですっかり出来上がってしまっており、真っ赤な頬でだらしなく笑っている。どうやら僕は孤立無援らしい。
「若いっていいわねえ。あなたたちは何になりたいの?」
 客は上機嫌で僕たちに訊ねた。
「いやあ、とにかく食べて行くのが目標ですよ。でも、結婚などをして、子供が出来れば嬉しいですねえ」

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電気サーカス

唐辺葉介

まだ高速デジタル回線も24時間接続も普及しておらず、皆が電話回線とテレホーダイを使ってインターネットに接続していた時代。個人サイトで自己表現を試みる若者達がいた……。

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