終戦直後に生まれ古希を迎えた稀代の司会者の半生と、 敗戦から70年が経過した日本。
双方を重ね合わせることで、 あらためて戦後ニッポンの歩みを 検証・考察した、新感覚現代史!
まったくあたらしいタモリ本! タモリとは「日本の戦後」そのものだった!
タモリと戦後ニッポン(講談社現代新書)
小泉首相に官邸に誘われる
『笑っていいとも!』の最終回まであと10日となった2014年3月21日、安倍晋三が現役首相として初めて「テレフォンショッキング」のコーナーに出演したことはまだ記憶に新しい。
このとき安倍は、その11年前の2003年1月15日に当時の首相・小泉純一郎が『いいとも!』に電話出演し、首相官邸にタモリを誘ったことに触れた。これに対しタモリは「そうですね。『いいとも!』って言って、行ってないですね」と返している。もっとも、小泉の出演時に「いいとも!」と言ったのはタモリではなく、小泉のほうである。
小泉の出演は、『いいとも!』が前年の02年4月に放送5000回に達し、12月にはギネス世界記録(同一司会者によるもっとも多く放送された生バラエティ番組)に認定され、その記者会見でタモリが「いまの気持ちを伝えたい相手」として首相をあげたことから実現した。
小泉は電話出演中、タモリから「これを機会に一度、お食事でもねえ」と冗談交じりに誘われて「よかったら今度官邸にお越しください」と応じ、「私、官邸に行ってもいいんですか?」と確認されると「いいとも!」と番組のお約束どおり返したのだった。
2001年の自民党総裁選に勝利して首相に就任した小泉は、「聖域なき改革」の遂行にあたり自民党内の守旧派を「抵抗勢力」と呼び、国民から圧倒的な支持を得た。しかし小泉内閣の支持率は、02年1月に小泉が外相の田中眞紀子を更迭したあたりから落ちこみを見せる。
その後、北朝鮮への電撃訪問、拉致被害者の帰国を実現したことで内閣の支持率はやや回復したとはいえ、翌03年11月の衆院選と04年7月の参院選で自民党は、比例区において議席数も得票数も民主党に敗北する(このあと05年の「郵政解散」総選挙での小泉自民党の圧勝を思えばウソのようだが)。小泉の『いいとも!』への出演はこの間のことだった。出演のきっかけはタモリの発言だったとはいえ、それは小泉にとってもあらためて国民にアピールし、イメージダウンから回復するため願ってもいないチャンスだったのではないか。
『いいとも!』出演に1億5000万円の宣伝効果!?
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