究極の目標は「完読されること」
「良い文章って何だろう?」。
唐木ゼミの初回は、必ずこの問いで始まります。参加者には順繰りに、何度も答えてもらいます。あなたも考えてみてください。
たとえば1周目「わかりやすい」「知りたいことが載っている」「テンポがいい」。2周目「間違いがない」「うんざりしない」「気が利いてる」。3周目「得した気分になる」「人に話したくなる」「元気が出る」……こんな具合に答えが膨らんでいきます。
どれも良回答、正解だと思います。ただ答えが無数にあっては学びが難しくなってしまうので、上級者になるまでの間は、たったひとつの万能解を掲げ、そこへの到達を目指すことにします。それだけ気にしていればさっきの回答すべて、それどころかたいていの問題をカバーできてしまうマジックワードをお伝えしましょう。それが「完読」です。
この連載ではおしまいまで通して、「完読される文章が良い文章」ということに設定します。
おしまいまで読んでもらうことの難しさ
逆のことを考えてみましょう。たとえば文章がわかりづらかったら? 読み進むのをやめてしまう人の割合が増えていくはずです。テンポが悪かったら? 間違いだらけだったら? やっぱり離脱者が多くなる。自分の役に立たないと思ったら? 内容と比べてあまりに長文だったら? 雑誌でもウェブでも、ページをめくるか閉じてしまいますよね。
そう考えていくと、文章のおしまいまで読者を連れていくことがどれだけ困難か、理解してもらえるのではないでしょうか。特に近年のネットユーザーは私も含め、長文への耐性が低下しています。かったるさを感じたら、すぐ離脱したくなってしまう。そうすると情報も断片でしか渡せなくなってしまいます。
そういったこらえ性のない読み手に情報を不足なく手渡し、メッセージを伝えるために、私たちは文章力を磨かなければならないのです。これはナタリーのようなニュースサイトに限らず、あらゆるメディア、あらゆる仕事の現場に適用できる、普遍的な課題といえるでしょう。
目標を掲げて腕を磨く
ほんとうのことをいえば、良い文章とは何か、それは「時と場合による」ものです。しかし特に初心者のうちは、目指すべき状態をはっきり見定め、迷いなく腕を磨いていく必要があります。
そのために私が用意した、考えられる限りもっとも万能で強力なフラッグが「完読」です。だいぶ乱暴ですが、信じてついてきてください。
ダメな文章は「食べきれないラーメン」
さあ、究極の目標「完読されるのが良い文章」が設定されました。これを目指すにあたって、もう少し突っ込んで考えてみたいと思います。
「完読」という概念を伝えるとき、補助線として「完食」という話題を出すと、理解してもらえることが多いように思います。フレンチでも懐石料理でも同じことなのですが、ここはひとつ、誰にでもなじみのあるラーメンに登場してもらいましょう。
あるラーメン、評判も知らずフラリと入った店で出てきたラーメンが目の前にあるとして、あなたはどんなとき、食べきれず残してしまいますか?
またゼミ生を当てていきましょう。1周目「多すぎる」「伸びてる」「麺ののどごしが悪い」。2周目「虫が入ってる」「店内が不潔」「具がなくて単調」。3周目「食べたかった味じゃなかった」「味が濃すぎ」「逆に味がしない」……話がラーメンとなると、矢継ぎ早に答えが返ってきます。
ところでここは文章力の教室です。順に言い換えればつまりこういうことでしょう。「文章が長すぎる」「タイムリーな話題じゃない」「リズムが悪くてつっかかる」。続いて「事実誤認がある」「誤字や用語の不統一がある」「繰り返しばかりで飽きる」。3周目は「求めていない内容」「主張が強すぎる」「得られるものがない」。
したがってこれらの逆をいけば、完食されるラーメン、すなわち完読される文章に近づいていくことができそうです。
おいしく完食できる一杯を
適切な長さで、旬の話題で、テンポがいい文章。事実に沿った内容で、言葉づかいに誤りがなく、表現にダブりがなく変化の付けられた文章。読み手の需要に則した、押し付けがましくない、有用な文章。もちろん条件はこれだけではありませんが、こんな文章がもしあったら、引き込まれたままおしまいまで読んでしまいそうですよね。
これから長く付き合っていく「完読される文章」という旗印。見失いそうになったら、おいしく完食できるラーメンを思い出して、ジャッジメントの補助線としてみてください。