パブロ・ピカソのTシャツを着て取材にのぞむ片桐さん
—— 本日はよろしくお願いします。アシスタント・キュレーターの熊倉です。
片桐仁(以下、片桐) よろしくお願いします。まず、このディン・Q・レさんは、どういう人なんですか?
—— 彼はカンボジアとの国境近くに生まれ育ったベトナム人です。ベトナム戦争が終わったあと、ポル・ポト派が攻めてきたので、家族でタイにボートピープルとして逃れ、翌年アメリカに渡ります。大学院を出るまではアメリカで教育を受けていましたが、その後、家族を残して単身ホーチミンに戻りました。なので、彼の作品には、ルーツであるベトナム人としての自分と、アメリカで育った自分、2つのスタンダードがあって、そのことが作品に色濃く反映されています。
「フォト・ウィービング」シリーズ
「無題(#5)」1998年
「フォト・ウィービング」は、複数の写真を裁断し、それらを編み上げるように制作される。ポル・ポト派によって虐殺された人々の顔写真と、アンコールワット遺跡の写真を編み込んだ作品のように、異なるイメージを混在させベトナム戦争の新たなイメージを浮かび上がらせる。
片桐 これは写真の合成かと思いきや、プリントした写真を編んでありますね。
「無題(パラマウント)」(部分)2003年
—— 彼を有名にした「フォト・ウィービング」というシリーズで、よくベトナムのおみやげ屋さんなどで売っているカゴやゴザの編み方から着想を得ています。
片桐 画像加工なんていまや誰でもできるけど、その加工の仕方が「写真を裁断して編む」っていうアナログなのがいいですね。だからこそデコボコの立体感が出て、写真なのにマチエール(作品における材質的効果)がある。技術的にはそこまで大変じゃないだろうけど、これ相当なセンスが必要ですよ。幅をどれくらいにするかとか、どこをクロスさせるとか。
「無題(パラマウント)」2003年
—— ベトナム戦争というのは、報道規制の緩和によって、世界中にイメージが出回った最初の戦争です。また、後にハリウッド映画などでアメリカ人の視点から語られるベトナム戦争と、現地のベトナム人から見たベトナム戦争には大きな乖離があり、この作品ではそれら2つの視点を1枚の作品として表現しています。
片桐 実際の戦場写真とパラマウント※のイメージの対比がすごいですね。そもそも戦争って、アートの常套手段というか、衝撃的だから作品が生まれるきっかけになりやすい。でも彼は自分自身がベトナム人でありながら、アメリカに渡って、アメリカ側の視点も得た。そこからまた故郷であるベトナムに帰って来て、自らの内面をアートに昇華する。しかも「編む」というベトナムの伝統工芸の手法を使って。その経緯がもはやコンセプチュアル・アートとして100点満点ですよ。ものとしての美しさもあるし、よく見るとまわりを焼いていたり、ちゃんと手を動かして作品をつくる人なんですね。
※アメリカの映画会社・映画スタジオのひとつ。
《消えない記憶 #14》2000-01年
「農民とヘリコプター」
「農民とヘリコプター」(部分)2006年
農作業や人命救助を目的として、独自のヘリコプターを開発する人がいる一方、ベトナム戦争中にアメリカ軍のヘリコプターによる攻撃を間近で見た人たちにとっては恐怖の対象に。ベトナム戦争の象徴であるヘリコプターをめぐって、異なる考えが交差するさまを、実寸大のヘリコプターと3面の映像で浮き彫りにする。
片桐 わ! ヘリコプターだ!
—— ベトナム戦争は、「ヘリコプター戦争」とも呼ばれ、ヘリコプターがベトナム戦争のアイコンにもなっています。
片桐 これ飛ぶんですか?
—— 飛行はできませんが、浮くことはできるみたいです。
—— あちらの映像とヘリコプターで、ひとつのインスタレーション作品になっています。映像では、ヘリコプターがベトナムに何をもたらし、人々が今ヘリコプターをどのように見ているのか、ドキュメンタリー的なインタビューと、ベトナム戦争をテーマにしたハリウッド映画のシーンや記録映像を組み合わせて編集しています。
片桐 ヘリコプター自体は夢の乗り物なのに、人によっては恐怖の象徴でもある、と。映像だけだったら、それはドキュメンタリー番組と変わらないんだけど、そこに実物大のヘリコプターを置くことによって、現代美術になってますね。アートの力で体感が変わる。しかも1つ目の展示を見たあと、急に現れるからインパクトも大きい。これは目の前で見てほしいなぁ。
「傷ついた遺伝子」
「傷ついた遺伝子」(部分)1998年
「傷ついた遺伝子」(部分)1998年
ベトナム戦争中にアメリカ軍が散布した枯葉剤による健康被害と先天異常への影響は、今なお大きな問題となっている。このことに注目し、結合双生児をかたどった人形や服を作り、販売するという公共プロジェクトを行った。一見かわいらしい外見によって注目を集め、人々の議論を促すことが目的であった。
—— 結合双生児をモチーフにしています。最近ではだいぶ議論されるようになってきましたが、ベトナムでは長年タブーでした。
片桐 しょ、衝撃ですね……。子ども向けソフビのおもちゃを使ってるんだ。ソフビって大量生産品だし、コピーされまくってるし、そのバッタもんみたいな感じがいっそう不気味です。
「傷ついた遺伝子」(部分)1998年
—— 衣服のほうには薬品メーカーのロゴマークが刺繍されています。
片桐 それぞれ一点ものの手縫いだ。下にあるぬいぐるみも、見た目には可愛いのがまた逆に突き刺さる。かなり直接的でブラックなメッセージですよ。こうやって人形と服だけを額に飾り、作品として発表するにすることがアートなんですよね。こっちの方が、実際に結合双生児を撮影した写真よりも、ある意味インパクトがありますね……。
「ベトナム戦争のポスター」
アメリカで大学在学中に、ベトナム戦争に関する授業を受講したディンは、ベトナム人の視点が欠如していることに憤りを覚え、アメリカとベトナム双方の戦争による被害者数を統計を基にして示し、報道写真と組み合わせてポスター風の作品を制作した。
—— この「2,000,000」という数字は、ベトナム人戦死者の数です。対するアメリカ人戦死者は58,135人。ディンは大学生時代、アメリカ人の退役軍人が戦争体験を語る授業に出席していました。涙ながらに語る退役軍人の話を聞いて、生徒たちも泣き出すような、大学でも大人気の授業だったそうです。それに嫌気がさしたディンは、このポスターを学校内に貼りました。
片桐 アメリカ人の兵士は当然、自分たちは正義のために戦ったと思っているので、そう語るでしょうけど、ベトナム人はそんな話聞きたくないから。学生時代の作品ということもあって、分かりやすく政治性が全面に出てますね。
「抹消」
「抹消」2011年
ベトナム戦争によって故郷を追われ、難民となった人々への思いを込め、ディンはベトナム戦争前の家族写真やポートレート写真を買い集め、難民一人ひとりにそれぞれの人格と暮らし、歴史があることを想像させる。
スクリーンに映る帆船のイメージは、1770年にオーストラリアの地に降り立ったキャプテン・クックのエンデバー号を想起させ、現在のオーストラリアの難民を排斥する人々もまた、かつては移民であったことを示唆する。
—— 2007年に、中東からオーストラリアに向かう移民たちのボートが座礁して、90人中60人が亡くなったという事件がありました。オーストラリアには今でも移民排斥の動きがあります。これはオーストラリアのギャラリーと一緒につくった作品なので、そういったオーストラリアの背景とディン自身の出自の物語が同居しています。
片桐 床いっぱいに敷き詰められているのは……あ、写真だ。写真が裏返しになってる。
「抹消」2011年
—— 移民たちが祖国に置いていった写真です。ディンは自分の家族が見つかるかもしれないと思って、ホーチミンのマーケットで古い写真を買い集めました。移民たちは、異国の地で人間性を消されるような差別を受ける場合も多いですが、祖国で撮った写真にはひとりひとりの人生がしっかり写っている。結局、ディンは自分の家族を見つけることはできなかったのですが、写真に残った大量の移民たちを見て、これでもう十分だと。
片桐 はぁ〜。いろんな家族や人生を見まくって、気が済んだんですかね。写真って、どんなものでも必ずエピソードがあって。とくに昔は写真を撮ることが特別だったから余計に。手に取った瞬間、誰かの人生を思い描くっていうのがすごいです。写っている人も、なぜかパンツ一丁で格好つけてたり、女優みたいに澄まし顔だったり、とても生き生きしてますね。そんな人たちが、やがて移民として祖国を離れ……って、やっぱり思いを馳せちゃいます。
「人生は演じること」
軍服などのミリタリーグッズを集め、リエナクトメントと呼ばれる戦争の再演を趣味とする日本人男性に焦点を当てた作品。さまざまな軍服に着替え、林を走り、さらに職場のバーではバーテンの制服を身にまとう男の姿を収め、生きること全てが演技であるかのような感覚が伝わってくる。
片桐 わ、何これ!? 思いっきり和室で軍服着てる!
—— こちらは日本で制作した新作です。日本に滞在していたディンが、昨年の終戦記念日に靖国神社へ行き、軍服のコスプレをしている人がたくさんいたので、そこで声をかけた方です。和歌山県のご自宅まで行ってインタビューと撮影をしました。
片桐 めっちゃ軍服似合ってる……っていうか、顔が軍人っぽい。たしかに兵隊のコスプレする人っていますよね。ただこの人も、なぜ自分がこういうことをしているのか、真面目に語ったことないと思うんですよ。しかもそれを美術館で展示するっていう。
—— 野山を軍服で走り回ったりもしていますが、ことさらに「コスプレやサバゲーとは違う」と強調されていて、いわく「自分は当時の人たちの気持ちを理解したいと思って(演じて)いる」「これは再演だ」と。
片桐 再演……!! 初演には参加できなかったから。まぁでも他人事ですもんね。とはいえ、たとえば子どもに学校で戦争の話を聞かせるときに、こういうアプローチは絶対にできない。一見、あ〜ヤバい人だなって笑いそうになるけど、だんだん笑えなくなってくるし。これぞアート!っていう作品だと思います。それこそテレビのドキュメンタリー番組でやろうと思っても、絶対にできない。だからアートでやる。
「人生は演じること」(部分)2015年
「人生は演じること」(部分)2015年
「ホーチミンの街角から」
「ポルノ、あります」2009年
タイヤを組み合わせた原付バイク修理屋の看板や、禁止されているポルノビデオを売るサインである古いCD盤など、ホーチミンの街角の風景から着想を得た作品が並ぶ。
—— あのDVDは「エッチなビデオ売ってます」のサインです。ベトナムは社会主義国家なので、公に販売はできません。
片桐 日本人からすると、猫よけにしか見えないですね。ただ街中の写真とはいえ、構図はめっちゃ凝ったでしょう。後ろに写り込む物とか動かしたりしてますよ。
「原付修理します」2009年
—— タイヤはパンク修理のサインです。旗を掲げた自転車は、ワールドカップの時などに見られるものです。
片桐 前の展示が強烈だったので、ホッとしますね。こうやって順番に見ることで、終戦後のベトナムに触れ、歴史は動いているんだって感じられます。
「愛国心のインフラ Ⅰ」2009年
「光と信念:ベトナム戦争の日々のスケッチ」
「光と信念:ベトナム戦争の日々のスケッチ」2012年
「光と信念:ベトナム戦争の日々のスケッチ」2012年
ベトナム戦争の従軍画家たちによる100点のドローイングとインタビュー映像。熾烈な戦いが続く日々においても、平和で楽しい時間があったこと、肖像画を描かれることが兵士にとって慰めになったことなどが伝わってくる。
—— これは最近作られた代表作で、ベトナム軍の従軍画家たちの絵です。銃撃の様子などは一切なく、日常生活を描写しています。そして、どの絵も似たようなタッチで、個性を出さないように描かれています。従軍画家たちは、ベトナム戦争以前からずっと戦争状態の中を生きているので、これ以上は血を見たくないと思っていると同時に、共産党の理念に賛同し、戦争の正しさを信じて従軍していました。
片桐 従軍画家とはいえ、自分が描きたいと思ったものを描いてるんですね。血とか傷とか描きたくないっていうのが伝わってきて、写真よりもむしろ、描かないことで物語るものがありますよ。絵ってやっぱり、こういう構図で描こうと思わないと描けないから。本人は個性を消そうとしても、どうしても出ちゃう。それが魅力的ですね。
「闇の中の風景」
トラン・トゥルン・ティン「無題」1970-1973年
独学の画家トラン・トゥルン・ティンは、共産党に参加し、目覚ましい活躍を残していたが、次第に党の方針に幻滅して、逃避するかのように絵画制作に没頭する。
個性を捨てて政治的理想に尽くした《光と信念》の従軍画家たちに対して、信じるものを失った絶望の先に独自の芸術表現を見い出したトラン。芸術の意味やアーティストの役割について、二つの作品がユニークな対比を見せている。
—— 一方、従軍画家の対面にあるこちらは、トラン・トゥルン・ティンという画家の作品です。彼は元共産党の幹部でしたが、やがてその理念に絶望して辞めています。そして、逃げるように抽象画を描くようになりました。当時のベトナムでは抽象画も禁止されていましたので。
片桐 抽象画を禁止するって、すごいですね。幹部までいったのに絶望するって、どれほどのことか正直分からないですけど、抽象的にしか絵が描けないくらいだったとも感じられます。だからこの絵は作者の悲鳴ですよ。なんとか平静を保つために描く。アートって人生の逃げ道にもなるので、もし抽象画を描いていなかったら、自殺していたかもしれない。そこまで考えさせられます。
トラン・トゥルン・ティン「無題」1970-1973年
まとめ
今回の展示は、戦後70年という節目を真っ正面から捉えていましたが、どれもが体験談やドキュメンタリー映像とは違った響きを持っていて、それこそがアートの持つ見立ての力なんです。
作家はどういう人なのか、なぜそれを作ろうと思ったのか、解説を読めば分かることもあるのですが、直接学芸員の方に聞くと、もっとよく分かる。この連載は、そういう現場の声を聞きながら、そこへ僕なりの意見も足すことによって、作品と読者の皆さんを繋いでいく存在にしたいと思っています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
ディン・Q・レ展:明日への記憶
会期:2015年7月25日(土)〜10月12日(月・祝)
会場:森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)