林檎の木の下で
いつものように待ち合わせ
髪を結い上げた君を見て どきり
そんな髪飾り うそだろ
いつもの君じゃないみたいだ
白い手をさしのべて
君は林檎をひとつ渡した
手のなかの小さな心臓に さくり
薄紅色に そっと刺すナイフ
恋のはじまりみたいな重さ
思わずこぼれる僕の溜息が
君の髪を揺らしている
小枝を踏んで ぱきり
あと少しで届くこと
恋に酔ってる 僕らは知ってる
林檎の木の下に続いている
この小さな細い道
「だれが踏みしめて出来た道なの?」
なんて意地悪く問いかける
君がとても愛しくて
ちいさな赤に やさしくふれる
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ
島崎藤村(1872~1943)
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