高野悦子、最期の2日間—『二十歳の原点』の謎[二]

1969年6月24日に20歳で鉄道自殺をした高野悦子さんの日記『二十歳の原点』は、当時、三部作として発売され、約350万部のベストセラーとなり、日本人の古典となりました。 健やかな精神と肉体を持ち、ひたむきに生きた女性がなぜ死んだのか。彼女を死に追いやったものはなんなのか。第二回は、彼女が死ぬまでに日記に記されなかった空白の二日間について、その足取りを追います。心を重ねることで見えてくる彼女の絶望の正体とは。

 高野悦子の『二十歳の原点』。その最後の日の日記に書かれた緊迫感と詩的なイメージは、恋人との性交への渇望と死の渇望からできている。

 〈富士山にある原始林〉は当時でも迷い込んだら生きて出てこられない場所の象徴でもあった。死への渇望は読み取りやすい。だが、性交への渇望はやや読み取りづらい。その文脈で見るなら、前日、21日の記述に気になることがある。「手紙」の存在である。

青春の生の力とその衝迫

 その何とかというやつにやる本と手紙をもって、雨の中をどこともなく歩き、途中「リザ」でジャズをきく。何にもやる気がしなかったのが、ジャズの雑誌を読んでいるうちに楽しくなる。ステレオを買って毎日レコードばかりきいて過したいと思う。
 その何とかいうやつにテレしたが、明日屋上に本をとりにくるということです。私は「本を渡したい」という、ただひとこと、それがいいたいことのすべてであった。相手に話をするひまも与えずに切った。その何とかというやつへの伝言文に「これは私が信情としたいと思っているアナーキズムについて書いてある本です」と書いたが、この文自体にうそいつわりはない。アナーキズムに人間本来あるべき姿があると思うのだが、しかし、一切の人間を信じない独りの人間が一体闘争などやれるのだろうか。やれる筈がない。

 〈何とかいうやつ〉に渡したかった書籍は、同日の日記に買いに行こうか悩んだ「アナーキズム思想史」である。正確には、現代思潮社から1966年に増補改訂された大沢正道著『アナキズム思想史─自由と反抗の歩み』である。高野はこの先で今の記述をしかし嘘だとしている。

 その何とかというやつに「アナーキズム思想史」を「これは私が信条としたいと思っている……」と書いたのは史上まれにみる嘘である。

 高野はただ、真剣に〈その何とかという〉男—「中村」—に、自分という女は〈一切の人間を信じない独りの人間〉であることを告げたかったのだが、その内実は、しかし二日の休日で性交にふける妄想でもあった。「手紙」は短いその伝言であっただろうか。現在残されている最後の詩だったか。詩がノートに横書きで書かれていることからすると、手紙は別に存在したかもしれない。

 最後の日の日記を再び読み返すと、冗談のように書かれた恋人と過ごすその二日の妄想を彼女はきちんと・・・・なぞったかにも・・・・・・・思えてくる・・・・・
 日記の最後の日付(1969年6月22日)と彼女の死の時刻(6月24日未明)の間には一日分の空白があり、この間の彼女の行動は長らく不明だったが、同書の愛好家「N. Kitamoto」氏による関係者の取材から、直前の様子はかなり解明されてきている。
 それによると、23日の23時以降だろう、丸太町通りの「グリル・喫茶 アラスカ」前で深刻な様子でいた彼女を、知り合いだった京都国際ホテル従業員が見つけ、店内に呼んだところ彼女は「死にたい」と告げた。また「中村」に会いたかったので、彼が暮らす京都国際ホテル男子寮にタクシーで連れて行ったが会えなかった。その後タクシーで一人いったん下宿に戻ったあと、6月24日の午前2時ころ、彼女は下宿人に声をかけて外出した。それからほどなく、おそらく線路沿いに歩き、向かってくる列車を認めると線路を枕にするように伏せたらしい。

 彼女の当時の生活周期で考えれば、空白の23日に起床したのは午後であっただろう。過剰に飲んだ睡眠薬の影響もまだあったかもしれない。そこから少なくとも6時間近い煩悶の空白がある。その間、「中村」に会いたいと願っていたことは間違いない。おそらくその行動がむなしく終わるかして、「中村」と同じ寮の知り合いを探しに「アラスカ」に行ったのだろう。
 最後の状況から考えると、その死自体は、世間的に言うなら失恋による絶望だったと言ってもいい。
 ここで私は思う。50代後半の年齢である薄汚れた自分からは、この一連の行動は失恋の絶望というより、離人症(離人症乖離障害)的な精神病理、つまり現実感の喪失が読み取れる。そう読めてしまう。今の自分にはもはや青春の生の力はないからだ。

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