二十歳で自ら死ぬということ—『二十歳の原点』の謎[一]

「死にたい」。真剣な声でそう言われたことはありますか? あるいは言ったことは……。1969年6月24日に20歳で鉄道自殺をした高野悦子さんの日記『二十歳の原点』は、当時、三部作として発売され、約350万部のベストセラーとなり、日本人の古典となりました。 健やかな精神と肉体を持ち、ひたむきに生きた女性がなぜ死んだのか。彼女を死に追いやったものはなんなのか。finalventさんが、日記と詩を手がかりにその足取り追います。彼女が生きていれば2015年で66歳でした。

 かつての恋人のことをその名前なくして思い出すことができるだろうか。

 ふとしたおりに知る他者の体臭のような臭覚から遠い日のいとおしさを連想することはあるとして、それが恋人というひとりの人間の焦点を持つためにはその名前が必要だろうか。小林秀雄『本居宣長』の定本から落とされた連載にそのことが問われていた。

 1974年ころだっただろうか。私は16歳、高校二年生。そのころ繰り返し読み続けていた一冊の本が高野悦子『二十歳の原点』だった。「高野悦子」という名前の響きは失った恋人の名前のように思える。

 十代の私は「高野悦子」を愛していた。その死を通して彼女をたまらなく愛おしく思っていた。空洞にされた身体を浸す水のような死への渇望から、私自身も20歳になるまで生きているとは思っていなかった。そのせいか、その名前の響きに今も胸が痛む。

 彼女の名前は変わらない。その後、20歳を過ぎて愛した人の名前が今は消えていたり、うろ覚えになっていくのにも関わらず。

彼女はなぜ自ら死んだのか、という謎

 高野悦子は20歳で死んだ。大学三年生のとき、1969年6月24日の未明、山陰本線の二条駅と花園駅の間で貨物列車に轢かれて死んだ。おそらく飛込み自殺である。20歳と半年の人生が終わった。

 この原稿を書くにあたって、謎を解きたいと思った。私が十代の頃から抱き続け、やがて見失い、再び巡ってきた謎だ。

 彼女はなぜ自ら死んだのか。
 私はなぜ死ななかったのか。
 悲しみと妖しさを帯びた彼女の生と死の本質はなんだったのか。
 私はなぜ彼女に恋をしたのか。
 彼女が生き延びていたのならいま何を思うだろうか。

 今一度、3冊の彼女の日記を通読し、資料を読み、人に会い、その足取りをたどった。

最後の詩はいつ書かれたのか

 高野悦子は1949年(昭和24年)1月2日に生まれた。

 ちなみにというのも変だが、村上春樹は1949年1月12日生まれ。10日の差である。村上は一年浪人したあと、恐らく国際基督教大学に入学した恋人を追うためだろう、1968年(昭和43年)東京に出て、早稲田大学に入った。高野悦子は現役合格だったので一年早く1967年に大学進学した。18歳である。
 彼女が生まれ育ったのは栃木で、大学は京都の立命館大学だった。私がここで同世代の村上春樹を引き合いにしたのは、彼が描く青年の物語での女性たちは、その時代の影響から高野悦子の面影を帯びているように思えるからだ。なかでも『ノルウェイの森』の直子からその連想がわく。

 彼女が二十歳になった1969年1月2日から、死の事実上前日(日記上は「6月22日」)まで書かれた日記である『二十歳の原点』には、まとまった遺書は遺されていないが、遺書のように読めないこともない詩が一編、最後のページに記されている。
 日記の最後に書かれた日の深夜の記述は自殺を暗示してはいる。時刻は深夜12時を回っていたが、2錠が適量の睡眠薬を20錠も飲んだのに20分も眠れないとして、彼女は日記を綴った。その最後に、タイトルのない詩がエピローグのように現れて日記は終わる。その詩は・・・・どうしても彼女の・・・・・・・・自殺に繋げられて・・・・・・・読まれるだろう・・・・・・・10代の私も・・・・・そう読んだ・・・・・

旅に出よう
テントとシュラフの入ったザックをしょい
ポケットには1箱の煙草と笛をもち
旅に出よう

出発の日は雨がよい
霧のようにやわらかい春の雨の日がよい
萌え出でた若芽がしっとりとぬれながら

そして富士の山にあるという
原始林の中にゆこう
ゆっくりとあせることなく

大きな杉の古木にきたら 一層暗いその根本に腰をおろして休もう
そして独占の機械工場で作られた1箱の煙草を取り出して
暗い古樹の下で1本の煙草を喫おう

近代社会の臭いのする その煙を 古木よ おまえは何と感じるか

原始林の中にあるという湖をさがそう
そしてその岸辺にたたずんで
1本の煙草を喫おう
煙をすべて吐き出して
ザックのかたわらで静かに休もう
原始林を暗やみが包みこむ頃になったら
湖に小舟をうかべよう

衣服を脱ぎすて
すべらかな肌をやみにつつみ
左手に笛をもって
湖の水面を暗やみの中に漂いながら
笛をふこう

小舟の幽かなるうつろいのさざめきの中
中天より涼風を肌に流させながら
静かに眠ろう

そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう

 静かな死へのあこがれが、美しくかたどられた言葉で紡がれている。かつての私にはこの詩は絶唱であった。今はある奇妙な空白を感じている。言葉は痩せて感じられ、描かれた少女の裸身はどこかしらつくりものめいている。死へのあこがれが消耗して、身体に嘘をつかせ、血は透明にあざむかれている。そう感じられる。詩となるために、彼女の本質が削がれてしまったかのように思える。

 この詩の原形となるオリジナル原稿の写真が、発表30年後ほどして、1960年生まれの、同書の愛好家「げん」氏が高野悦子の母親・高野アイを訪問したことにより、公開されたことがある。それにより、オリジナルとの違いが明らかになった。

 ノートの1頁に散文風に記された手書きの詩は、研究者や出版界で明らかになったものではないが、オリジナルでなければ表せないだろう真実味がある。
 なかでも詩の表現として異質の印象を与える〈中天より涼風を肌に流させながら〉という「中天より」という部分が興味深い。オリジナル原稿は乱れた手書きであり、おそらく最初「快」という漢字の偏を書き誤ったために、立心偏「忄」が「中」のように見える。それでも「快よい」と判読できる。「快よい涼風を肌に流させながら」のほうが意味的にも自然だろう。
 またオリジナルの詩はなんども推敲された跡がある。たとえば、この部分、

そしてその岸辺にたたずんで
1本の煙草を喫おう
煙をすべて吐き出して
ザックのかたわらで静かに休もう
原始林を暗やみが包みこむ頃になったら
湖に小舟をうかべよう

 初期の状態では恐らく次のようであった。句点もある。

そしてその岸辺にたたずんで1本の煙草を喫おう。
暗やみがあたりをすっかりつつみこむまで
そしてザックのかたわらで休もう
原始林を暗やみが包みこむ頃になったら 笛をとり出そう
湖に小舟をうかべよう

  本人の推敲で削除された〈暗やみがあたりをすっかりつつみこむまで〉は、継続する部分との意味的な重複があると見なされたのだろう。
 そうした違いのほかに、詩のタイトルではないが、〈旅に出よう〉の前に、〈私に嘲笑の別れのあいさつをおくる日〉という文言が見つかる。つまり、この詩は、次のように始まっていた。

私に嘲笑の別れのあいさつをおくる日 私旅に出かけよう
そして富士山にあるという原始林の中にいこう
ゆっくりとあせることなく大きな杉の古木にきたら
暗いその根本にザックを腰をおろして休もう
そして独占の機械工場でつくられた1箱のタバコを
取り出して暗い古樹の下で1本のタバコを喫おう
近代社会の臭いのするその煙を古木よ
おまえは何と感じるか
※は判読できない部分。「角」ではないかと思う(筆者)

 オリジナルを書き写して気がつくことは、この文章のほうが日記の文章と同じ地表に置かれていることだ。おそらく原詩は、〈私に嘲笑の別れのあいさつをおくる日〉を想定して書かれ、書かれたそばから推敲されたものである。この詩のイメージである〈独占の機械工場〉の産物のタバコは、〈近代社会の臭いのするその煙〉として別れの対象の象徴であり、「嘲笑」の対象と結合している。

 この違いから、一つのことがハッキリとしてきた。
 最後に残されたこの詩は、書籍としては日記の最後に添えられているが、自殺の・・・直前に・・・書かれた・・・・ものでは・・・・ないだろう・・・・・

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