単行本『音楽の在りて』の発売に合わせて〈マトグロッソ〉で萩尾さんにインタビューしてほしいと電話があり、「どうせなら公開で」とこちらから持ちかけて、去る4月29日、ジュンク堂書店池袋本店で「萩尾望都のSF世界」と題するトークイベントが開催された。
インタビューの詳細は〈マトグロッソ〉を読んでいただくとして、個人的に面白かったのは、なぜ小説を書いたのかという話。〈奇想天外〉編集部の小林裕幸氏(その後、講談社に移籍してX文庫などを担当)から、「小説を書きませんか」と依頼されたのがきっかけだったそうだが、同じアイデアを作品にするのでも、漫画の場合だと32ページの短篇一本仕上げるのに一カ月かかるところ、同じ枚数の小説なら、3日から10日くらいでできあがる。サイクルが短いので、漫画と並行して書けるというのが小説のメリットだったらしい。頭の中にストーリーがビジュアルで浮かぶのはマンガも小説も同じことで、それをコマ割りして絵で描くか、文字にするかの違いだとか。
ちなみに、これらの中短篇が〈奇想天外〉に発表された77年~79年、萩尾さんは〈週刊少年チャンピオン〉で光瀬龍『百億の昼と千億の夜』を漫画化したあと(77年34号~78年2号)、〈週刊少女コミック〉に『スター・レッド』を連載(78年23号~79年3号)。77年~78年には、〈週刊マーガレット〉で、 “Bradbury傑作選” と題し、ブラッドベリの名作短篇8篇、「みずうみ」「霧笛」「ウは宇宙船のウ」「ぼくの地下室へおいで」「宇宙船乗組員」「泣きさけぶ女の人」「びっくり箱」「集会」(初出順)を漫画化している(小学館文庫『ウは宇宙船のウ』に収録)。さらにSFマガジンでは、光瀬龍の宇宙SFに絵をつける合作企画『宇宙叙事詩』を連載していた(77年10月号~79年9月号)。その合間を縫ってこれだけの中短篇SFを書いていたのだから、この時期の萩尾望都は、まさしく日本を代表するSF作家だったわけだ。
小説や漫画だけではない。当時のSFマガジンをひっぱりだしてみると、79年12月号には、「萩尾望都、世界SF大会へ行く」と題する6ページの原稿が(アルフレッド・ベスターやロバート・シルヴァーバーグとの2ショット写真つきで)載っている。この年、英国ブライトンで開かれた第37回ワールドコン(Seacon'79)に、伊東愛子、花郁悠紀子、城章子、佐藤史生のマンガ家各氏(いずれも、いわゆる “大泉サロン” のメンバー)との欧州旅行のついでに参加し、そのレポートを本誌に寄稿したわけだ。たとえば、ヒューゴー賞授賞式についてはこんな具合。
……シルヴァーバーグはいつもは無愛想な顔をしてるがこの人が笑うと天使か子供のような笑顔になる。
ノヴェルは、ゲスト・オブ・オナーのフリッツ・ライバーが授与する。彼は見事なひたいと白髪、封を切って紙を読む、 “ヴォンダ・マッキンタイア” 作品は「ドリーム・スネーク」黒のロング・ドレスの婦人が登場して受けとる。なかなかSF界では女性が活躍していると、史生さんが言う。私は眠い。さっき、やっと見たラリイ・ニーヴンのヒゲモジャ顔を思い出そうとしているのだが、頭にはシルヴァーバーグの笑顔ばかり浮かぶ。私は作家に顔は要らんと思っていたのだがなあ。
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