大石さんが東京アニメで仕事するのは、毎日のことではない。入る時間もまちまちだった。それでもこの三日の間に、一度は顔を合わせた。昨日の晩こっそり外注に渡すキャラ表を取りに寄った時、作画室で原画マンたちと話をしている大石さんと目があった。その時のオレの、たぶんおどおどとしていた目と、ファンくんの似顔絵、そして不在がちの隠密行動が、おそらく大石さんに不信を抱かせたのだ。それに大石さんだけが、オレの親父のことを知っている。
「この、うどんな。パパうどんっていうんだ」
オレはうどんをかき込みながら、顔をあげた。
「パパうどんっすか?」
「結構な人気でね、時々作ってやるの。まぁ、ただナルトがのってるだけなんだけど」
そう言われれば、ネギと鶏肉を覆うようにナルトのスライスが何枚も散りばめられている。
「たしかに、うどんにふつう、ナルトないかも」
「子供のころさ、兄弟でラーメンのナルト取り合ったんだよ。あれって、丼に一枚しか入ってないじゃないか。だからね、せめて息子たちにはふんだんにって」
声を潜めて笑う。吊られて笑みを作ろうとしたが、それは途中でサランラップが張り付いたように固まった。うどんを
「俺の親は、自己本位の人でね」大石さんが突然言った。「子供のころ、愛情っていうものを親から受けた記憶がないんだよ」
一瞬何を言い出したのかと思ったが、自分の生い立ちを持ち出してシュオンのことを話そうとしているのだと分かった。前回のシナリオ打ち合わせで、シュオンにとって母親の愛情がどんなに強いものなのか話し合ったのだ。
「だからこの間は、しっくりみんなの話についていけなくてね」
シュオンは、五歳の時にそれまで彼女を唯一支えてくれた母親と引き離されている。そしてその後、母親の安否さえ分からない。脚本家の星山さんは、最終回に向けて、シュオンのそういった心の中に蓄積した思いも炙り出したいと考えていた。
「ARMANOIDは、超能力者の精神的なエネルギーの強さによって能力が左右されるじゃないですか」
星山さんは、そんな前置きをして言った。「だとすると、十七歳になったシュオンが、母親から受けた愛情をどう捕らえているかで、ARMANOIDとしての機能に少なからず影響が出るはずだし、また心情的なドラマも違ってくると思うんですよ」
そうした意見に対し
大石さんが力のない笑みを浮かべて言った。
「俺のようにさ、愛情に餓えた家庭で育つとね、たとえばシュオンの幼少のころのことを持ち出されても、ちょっとピンと来ないところがあるんだよ」
その微妙な笑みに、同じようなことを言った彼女の
「それで、いつもと違ってあまり意見をおっしゃらなかったんですね」
「言えなかったんだよ。シュオンがどれだけ愛情を受けたか知らないけど、そんな昔のこと覚えているもんだろうか、なんてね」
そう言って、まるで話を終わらせようとするかのように、残ったうどんを音をたてて喉に流し込んだ。
ふたりでうどんを平らげてしまうと、大石さんはオーディオのボリュームをあげた。さっきうどんを作って持ってきてくれた時、「うどん食いながらジャズじゃな。ジャズにも悪いし、うどんにも怒られそうだ」などと大石さんらしくジャズにもうどんにも気配りしたジョークを言って音量を下げたのだ。だが音楽に耳を傾けながらテーブルにマグカップを並べている大石さんは、もう冗談をいう顔ではなかった。
ふたつのマグカップにポットのコーヒーを注ぐと、オレにあえて勧めもせず、コーヒーを口に含んだ。そして宙に目を這わせたと思うと、それはすぐにプラモデルやモデルガンに埋め尽くされた棚の隅に引き寄せられていった。そこには、大石さんとふたりの息子が砂浜で笑っている写真があった。普通の父親では作れないような見事な砂の城の前で、息子たちが自慢げにピースしている。
「奥さんの田舎、海の近くだって言ってましたね」オレは言った。
大石さんはそれには答えず、子供たちの写真を愛おしそうに見つめたままだった。オレは邪魔しないように頂きますと口に出さずに言って、マグカップを取った。
「自分が小さい時、親から何かしてもらったことがないからね、この子たちが実際どう思ってるか、どう感じてるか分からなくなることがあるんだよ」
「え?」
「俺の接し方はこれでいいんだろうか、大丈夫なんだろうかってね、時々自信が持てなくなる」
「そんな・・・」
「この子たちがいい大人になった時、はたして親から愛情を受けて育ったって思ってくれるだろうか・・・」
「もちろんっすよ」
大石さんはあらためてオレを見ると、困ったような笑みを浮かべてみせた。
「笑われるかも知れないけど。俺がこんなふうに親をいつまでも憎んでいたら、ひょっとしてそれは自分の子にも遺伝しちゃうんじゃないか、なんてね」
「遺伝って・・・」
「親を憎む遺伝子。・・・厄介だよね、生まれっていうのは」
マグカップに口をつけると、コーヒーはすこし冷めていた。コーヒーは冷めると苦くなるんだ、とどうでもいいことを考えた。実際、大石さんにどんなふうに言葉を返したらいいか思いつかなかったのだ。
「オレには、よく分からないっす」
クソみたいなセリフしか出てこない。だが大石さんは、そんなオレに意外な言葉を返した。
「そりゃぁそうさ。親の愛情をたっぷり浴びて育ったキミには、分からないよ」
「えっ」
貧弱なイメージで情けないけど、オレは一瞬幼児用のビニールバットでアタマを殴られた気分だった。殴られたというのに、その原因がオレのマヌケにあるみたいな。
「何言ってるんすか。オレ、自殺遺児っすよ?」
「自殺遺児だからって、親の愛情を受けてないとは限らないだろ」
「まぁそうですけど。でも、そんなこと考えてみたことないっすから」
「考えろよ」
今度は軽く、ビニールバットがオレの額を打つ。
「いくつだっけ?」
「二十五です」
「お父さんが亡くなられたのは?」
「自殺遺児にふつう訊きますか? 小学校二年の時です」
「うちの下の息子と同じだよ。それからずっとキミは、お父さんのこと、思い続けてる」
「はい。まぁ」
「まぁどころじゃないだろ。何かというとお父さんを思い出す。キャッチボールしたことや、一緒に風呂に入ったことや。もちろん俺には、具体的にどんなことを思い出すのかは分からないけど、でもほんの日常の些細なことでも思い出す」
「はい・・・」
「そして、悲しむんだ。どうして親父死んじゃったんだよって。・・・悲しむんだ」
こんなことを面と向かって言われたのは、はじめてだった。なんだってこんなことを言われなくちゃならないんだ、そう思うのがふつうなのに、なぜか腹がたたなかった。きっとオレの体の内側には、いつの間にかオレよりもオレを知ってるアカの他人が棲み付いているのだ。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。