しばらくすると、割り切れない気分になった。
自傷の跡を見せた美島こずえが、時間が経つにつれ、オレの中で
中学二年のあの夏の日、すくなくともオレは、周囲の根も葉もない情報を信じないと決めた。そうしないと、親父の自殺が傷つくことになると思ったのだ。
自殺は遺伝するらしいよ。知ってた?
中学生がまだネットなんかしない時代から、そんな根拠のない話が校内に出回っていた。オレは密かに自殺遺児だと知られていたので、その情報は、たぶん直接もたらされたものではなかったかも知れない。だがそれでも、すぐ隣に座る子から、昨日見たテレビの話をされるのと同じ部類で報らされた気がする。ねぇねぇ、自殺は遺伝するらしいよ。げぇ、知らねぇーの? みたいに。
それから一日中、その遺伝子がいつオレの体の中で活動を開始してしまうのか、気になるようになった。例えばそれが、オレが今動いて欲しくないっていう時に、運悪く突然動き出してしまったとしたら、取り返しもつかないと思ったのだ。それにもしかしたら親父はその遺伝子の保有者だというのを知りながら、うっかり忘れていたものだからあんなふうに突然の死を迎えてしまったのかも知れない。あれこれ思い巡らし、ならば自分から死ぬほうが道理に合っている、と中二のオレのアタマは行き着いたのだ。
だが当然のことながら、オレのこの試みは失敗に終わっている。
オレが枕木と並行に寝て列車を待ったのは、下校途中の山の中だった。そこに一日八回往復する列車の線路があった。オレに気づいた列車は狂ったように警笛を鳴らし、鉄と鉄を擦りあわせた鋭い音が全身を貫いた。直後、オレは断続的に意識を失いまた取り戻すを繰り返すことになった。——赤く焼けた空で騒ぐカラスたち。
自殺が遺伝するわけないじゃん。
オレは、太陽クラブの祐介にいまだにそう言ってあげられないでいる。それは、オレが自殺という行為の輪郭をまだきちんと自分の中で捕らえることができないでいるからだ。だが遺伝子が勝手に動き出す前に決着を付けようと言う発想は、あの日以来封印した。校内の噂に踊らされた末の自殺と、親父の自殺とを絶対に一緒くたにしたくないと思ったのだ。
ビルの屋上で死ぬぞ死ぬぞと騒ぎ立て、周囲にさんざん気を揉ませてようやく自殺できる人がいる。通勤ラッシュの時間を見計らって電車に飛び込む人がいる。そんなことをしてまで自分の存在を世間に知らしめたいなら、それは自殺なんかじゃない。何かの自己表現のための、パフォーマンスに過ぎない気がする。久々にテレビに登場し男泣きを披露した恥知らずと同じで。美島こずえの過去に何があったのか、オレは知らない。だがその悲しみの跡を人に見せつけて、解決してしまうような痛みなら、やがてはすっかり消えてしまう
命綱が切れて突然宇宙空間に放り出されたように、世間というスペースシャトルがたちまち遠ざかっていく。音もなく、呼び止める声もなく、そして船に引き戻すなんの抗力を受けることもなく。いつもこんなふうにオレは、寒々と暗黒の殻に閉じこもっていく。
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