90年代の私立ポップティーン高校は、サイキョーでサイコーだった。
当時のメインを張っていたのは、押切もえチャン、飯島さゆりチャン、山田さゆきチャン。みんな振っ切れていてカッコよかった。
もえチャンなんて、最初は野暮ったかったのに一途に努力してみるみるカリスマギャルに大変身。重たい一重の目をアイプチで二重にしたことを誌面で告白するどころか、そのプロセスを披露したのも、斬新で同世代の圧倒的な支持を集めた。
また別なセンパイ(読者モデル)は、100人斬りのヤリマンであることをインタビューで公言。「運命のオトコを求めているだけなの」と純情を吐露した。彼女の横顔の写真には、心情とリンクしたAYUの『Trauma』の歌詞がのっている。
ハンパない潔さ。後先を省みないガチンコ感! ギャルに大切なのは身近な友だちと彼氏だけ。今を楽しんでいるだけなのに、勝手にムーブメントになっていく。
あの頃、センパイたちは、輝いていた。離れても忘れないよ! 大人になっても応援しているよ! 内向的な地方の女子高生だった私は、リアル・ホットロードを目の当たりにしてときめいた。
だから、35歳になったもえチャンが“変顔”と称して、ブログでハンパに可愛いアヒル顔を披露したのを観てショックを受けたんだ……。あの頃のもえはどこ行っちゃったの?
Popteen 2013.10
AYUは紅白にさよならを告げて、
コギャルの時代は完全に終焉した。
90年代終盤——。ギャルとは、“コギャル”のことだった。日焼けした肌に茶髪、ミニスカートとルーズソックス、メカのような厚底ブーツをはいて渋谷を集団で闊歩する新種の肉食系女子高生。
ギャルのルーツは、ヤンキーだ。コギャルの産みの親といわれるティーン誌『egg』の前身は、『ティーンズロード』という暴走族雑誌。あの頃、あの界隈で目立っていた女の子たちに、“コギャル”という呼び名がついたのだ。
ティーン誌のムードやシステムは、よく学校にたとえられる。偏差値は高くないけど、自由で楽しい校風のポップティーン高校は、派手めでアッパーな読者モデルたちが憧れの先輩よろしく人気を集めていた。
コギャル誌としては後発だったが、サーフスタイルなどのファッションから109のカリスマ店員の発掘まで、コギャルの文化や魅力を一般化して、地方女子にまで波及させたのは、他ならぬ『Popteen』の功績。安室チャンやAYUがアイコンになって50万部まで部数を伸ばした。
あれから、15年以上。ギャル文化はめまぐるしく変化を続けた。“ヤマンバギャル”という極端な進化形が生まれ、キャバクラ譲主導の“age譲”時代などを経て、10代の人口減少とともにギャル文化も風前の灯かと思われた。
「GALの時代が変わる!! 清楚な女のコ宣言!!」
2013年、ポップティーンは、いちはやく宣言した。「ウチらは、清楚な女のコになるんだ♪」と。
なぜ、“清楚”なのか、それは字義通り「飾りけがなく、清らかなこと」なのか。